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父の認知症(その後)①

父の認知症(その後)①
                     ムックマムスタッフ S子

 2016年8月に父の認知症の話を掲載しました。
 あれから2年経った今の父の状況をご報告させていただきます。

 父の症状はどんどん悪化し、当時週に1回、いやがる父をやっと半日だけ通所させていましたが、迎えの車に乗せるにもひと苦労の上、行ったと思ったら3時間後には帰って来る。と、いう状況で母のストレス解消にはなっていませんでした。

 通所施設で運動して来るので父のためにはなっていると思って通っていましたが、その運動も継続してやれなくなり、さぼるようになってきました。何しろ、自分に運動しようという意志がないし、運動が自分のためだとも理解できないのですから。そのため、1日の通所に変更しました。昼食が出るし、入浴もさせてくれるので母の負担も少しは減るかなと思ったからです。それに父と一緒にスーパーに買い物に行くと、父は「早く帰るぞ」とか、「そんなに買ったらお金がかかる」とか、言うようになり、買い物さえもままならなくなったため、父の通所日に母が用事を済ませるという必要が出てきたのです。

 通所は週に2回としました。相変わらず、「なんでそんなところに行くのか、行かん」と言うようで、母は騙しだまし、「私も後から行くからね」となだめて車に乗せるようです。もちろん帰宅後も何をしてきたか覚えてないし、おいしい昼食を食べてきているのに忘れていて、「もう行かん。迎えに来なくていいと言っておけ」と言うのです。

 父の場合、お金のかかることを極端に嫌がります。戦争時代に育ち、つつましい生活をしてきましたが、使うべきところは使っていましたし、認知症状の軽い時は、必要のない高価なものを購入してきて私たちを驚かせたりしていました。しかし今は、テレビは電気代がかかる。新聞もお金がかかるので必要ない。と、言うようになり、母はテレビを自由に見ることすらできなくなりました。新聞に至っては、新聞配達が来る時間に玄関フードのカギをかけておけば、新聞は届かなくなると言い出し、早朝に起きるようになってしまったのです。中止を申し出るという発想はなく、引き落としになっている口座の残高を無くしておけばいいとか、お門違いのことを言います。結局新聞購読を中止せざるを得なくなりました。

 そんな父ですから、通所に行けばお金がかかると思い、お金かかるから行かないと。介護サービスのお知らせなどは見ると怒りだすので、通所の明細は私の自宅に届くように変更してもらいました。それでも、施設ではたまに入浴を拒否したり、帰宅願望を口にするようですが、施設職員に暴言を吐くようなこともなく、食事は「おいしいおいしい」、入浴後は「たいした良かった」というとのことで、今のところは安心しています。

 今、一番困っているのは、本人の病気やけがのことです。昨年一年で、転倒して顔面の傷を縫うということと、救急車で搬送ということがありました。

次回は認知症患者の医療についてお話します。
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のりかうまれるなつ(父に捧ぐ)

山地 法香(やまじ のりか)
    1962年7月生まれ 55歳
明治大学短期大学部法律学科卒業 一男一女の母
趣味は登山と音楽 香川県高松市在住

庵治中学を皆勤で卒業後、私は高松第1高等学校に入学した。昭和53年のことである。
成田新国際空港が開港し、本四架橋くわ入、日中平和友好条約が正式に調印された1978年に高校生になった。
 希望に胸をふくらませ母の母校でもある一高に通うことになった。通学はバスと電車を乗り継いで約50分の道のりだった。電車に揺れながら、真由美ちゃんと前夜のザ・ベストテンに出演していた松田聖子の話で盛り上がった。フォークやロックを口ずさみ、エレクトーンを弾いた。
エレクトーンと言えば、小学校の時の尾島山上スカイレストランでの発表会では、母のお手製のパンツスーツを着て「おもちゃのチャチャチャ」を弾き、兄と父も見に来てくれたことを思い出す。
 高校は、自由な校風だった。それに加え、両親ものびのびと育ててくれた。学校に出す、家庭調査票の教育方針の欄に父が「自由主義・個性の尊重」と記入していたのを記憶している。
 高校時代はハンドボール部に所属し、汗を流した。兄の影響で旅行を始めたのも高校の時からである。周遊券で山口、東京、横浜を回り、ユースホステルにクラスメイトと宿泊し思い出を作った。
 短大は東京。山登りのサークルを選んだ。新人養生山行は、雲取山。班別山行は八ツ岳、夏合宿は南アルプス、尾瀬。新宿アルプス広場にキスリング(写真のような登山用のザック)を背負って集合した。今も山歩きが好きで、飯野山、香色山、剣山など友人と登る。サークルの同期・後輩とは現在もなお、家族ぐるみの交流が続いている。(風景写真は尾瀬に行った時の一枚)
キスリング
尾瀬3

「涼心炎空 のりかうまれるなつ」と、亡き父が作り、知人に送った和紙の暑中見舞いが手元に一枚ある。7月の終わりに産まれた、初めて女の子の父になった喜びが感じられる。

島津さんはがき (3)


幼い頃は、父が好きだったし、尊敬していた。大事にしてくれた。要所要所で道を作ってくれたり、アドバイスをくれたおかげで今の私がある。女は苦労したらいかん、パパみたいないい男と結婚するのが幸せだ、とユーモアたっぷりに話していた父。助けてもらった父、教えてくれた母、愛してくれた祖母、ひとつ上の兄に感謝しながら、今日から、ゆっくりと、丁寧に、少しずつ、着実に、歩んでいきたい。

私は、父からは堅物、先輩からは硬派と言われた。子宝にも恵まれた今は、夫と静かな生活を送っている。これまで大きな挫折や失敗もなく来られたのは、両親の愛があったから。周りの方々のお陰ではないか。父が亡くなった今、しみじみそう思う。

ミーン、ミーンとセミが鳴き始めた。夏が終わる。


2018年は『ムックマム』20周年 第2回

20年たつと、スタッフも高齢化し、興味の対象も当時とは随分と違ってきました。子育てと言っても幼い子ども達ではなく、思春期や大人になった子ども達だし、どちらかというと、超高齢になってきた親たちが心配だったり、困っていたり。自分達のこれからの人生も、子どもとは切り離したところで考えるようになってきています。

なので、おのずと『ムックマム』の扱うテーマも広がってきて、いわゆる子育て世代のママ達の話題が中心ではなく、社会問題、健康、精神面などなど、生きること全般になりました。

発信の仕方も、16年目だったか、冊子をやめてブログ版に切り替えました。
今やネットで何でも調べられ、情報交換できる時代。
リアルにして稀少な自然派情報を発信しよう~!という気負いも必要なくなり、ご縁あった方に、それぞれの想いや、経験や、情報を伝えていただけたら…というノリに変化しています。

書く人がいて、読む人がいて・・・それをつなぐのが『ムックマム』。これからは少しペースダウンをして、ブログへのアップは不規則になりますが、細々とでも続けていけたらと思っています。

原稿を書いて下さる方はこれからも大募集していますので、初めての方も、過去に書いて下さった方も、どんどんお声を掛けて下さいね!
 

話は変わりますが、私の個人的なお知らせ。

2年ちょっと前に故郷のうどん県高松市に帰ってきました。31年ぶりの香川生活は、思ったより違和感ありません。
瀬戸内海の美しさと柑橘類の種類の多さ、うどんのコシ!小豆島産オリーブオイル、ああ、おいしいものがこんなにあったのか~と一通り感激し終え、1年前にお店をオープンして、あたふたと毎日を過ごしています。

お店は新潟時代を含めて10年目。最初の頃は、「お店出せていいですね~」と言われると、逃げ出したくなるくらい、経営初心者の私には大変なことだらけでしたが、これも、続けてきたことで、育てられました。

1つクリアすると、さらに大変なことが降ってきて、それをクリアすると、またさらに・・・という法則を聞いたことがありますが、自分の辿ってきた道を振り返ると、学生時代に部活を頑張れたから子育ても頑張れた。子育てを頑張れたから、ムックマム頑張れた。ムックマムを頑張れたからお店頑張れた。

と、その時、その時、とりあえず目の前にあることを頑張ってやっていたら、順々に大きな課題がやってきて、いつの間にか肚も座り、しぶとくねばれる力がついていた、という感じです。

なんでもかんでも頑張る必要はないけれど、今の自分にとってちょっと大変だな、責任が重いなと感じるくらいのことを頑張って続けていると、いつの間にか思いもよらなかった世界が広がっているっていうのは、あるみたいです。

面白い人とつながったり、わくわくするような出来事が起こったり。自分のことが前より頼もしく思えるようになってたりもしますね。何より嬉しいのは、子ども達から応援してもらえたりすること。あ、あと、悩んでるヒマもなくなって、あまり悩まなくなっていきます(私だけかな)。夫の協力も得られたりして・・・は、人によりますね。

『ムックマム』20年。続けてこられて本当によかった。皆さま、これまで本当にありがとうございます。これから21年目に入りますが、ゆるゆるとでも続けていけたらなと思います。皆さま、是非、ご投稿をよろしくお願いします。

原稿を書いてみようかな~と思われる方、こちらまでご連絡下さい。
↓↓↓↓↓↓↓
mukkumamu2014@gmail.com

ムックマム編集長 湯川あゆみ

2018年は『ムックマム』20周年 第1回

2018年6月。実は『ムックマム』を創刊して20年の月です。
創刊当初は2カ月に1回発行のミニコミ誌でした。

まだ「若いママ」だった私の周りに、自然育児や自然生活に関心を寄せる人達がどやどやと集まって来ていました。今と比べるとはるかにそういう情報の少なかった時代。「ああでもない」「こうでもない」とお互いの経験や考えを熱く語り合っていました。

そんな中から、「ここだけで話をしているのはもったいない。雑誌にしましょうよ」という声が上がり、気づけば創刊号が完成。

生まれたばかりの次女をおぶり、慣れないパソコン(いや、ワープロだったかも)の前でパチパチと原稿を作り、イラストを切り貼りしたり、faxで遠方のスタッフとやり取りをして仕上げていき・・・手刷りで印刷して、製本して、多い時には200人近くの購読者さんに発送。

北海道から九州まで、全国にわたって購読者さんもスタッフもいました。ネットなんてなかったのに、どうやってつながったのか不思議です。

何かを始める時のパワーってすごいものがあります。
めちゃめちゃしんどくても、めちゃめちゃ頑張れる。
それでなくても自然派の子育ては手間ひまかかって大変なのに、よくやっていたなと思います。

でも、本当に大変なのは、その大仕事を続けていくこと。
お金をいただく仕事でもないのに、ものすごい時間とエネルギーを費やし、嫌な思いをすることも多々あり、なんでこんな思いをしてまでと思うことも数知れずありました。

だけど、その一つひとつが私という人間を育ててくれたのですね。途中でやめていたら、育ててもらえなかったです。

創刊して2~3年目の時に、百姓もしているあるお医者さんのお話をうかがう機会がありました。
その先生にその時、「10年続けなさい。なんでも10年は続けないと意味がないよ」と言われ、その一言がずっと心に残って、10年という目標を持てたというのもありました。

10周年記念号を出せた時、その先生にご報告をしたら、「20年を目指しなさい」と言われ、「あ、はい」と心の中で自信なく返事したものですが、ついに20年になりました。

私の率直な感想としては、当時は20年後の自分なんて想像もつかなかった!想像もつかない未来のことなんて考えることもできなかった!ほんとに私は20歳も年をとったんだろうか??今もこんなに若いのに!

というところですが、社会人と大学生になった娘達を見る限り、現実に20年の歳月は過ぎたようです。(つづく)

ムックマム編集長 湯川あゆみ

娘からのメッセージ

今年で下の子も成人となる子育て終了ママ  はるかぜ


★このお話は、あくまで私の個人的体験、感想です。このやり方や考え方が、全ての人に有効であるとは言えないと思いますが、私にとって印象的な出来事でしたので、ご紹介させてもらいたいと思い、書かせていただきました。



 一人暮らししている娘とは、ほぼ毎日LINEでやり取りしている。

 ほとんどは、一日の終わりに私からメッセージを入れ、それに娘が返信してくる。

 

 ある日、珍しく娘からこんなメッセージが届いた。

「なんか小さいときに(私が)アトピーだったこと思い出して、完全に治ったのって完璧母の力だね。ありがとう。」

 

 そう、娘は小学校5年生くらいまでアトピーだった。かなりひどい時期もあって、毎日たくさん患部から液が出ていて、下着や服が汚れてしまうほどだった時期もあった。身体検査や、友達のいるところでの着替えなど、かなり辛い思いとしただろうと思う。

 私は、対処療法で治療しようとは思っておらず、根本治療をしないと治らないといろんな方法を試した。アレルギー体質で、アトピーの人が持っていることの多い喘息もあり、これも辛かっただろう。

 

 私がやったのは、まずは食事療法、添加物の入っていないものを選んで、乳製品を控えたり、酸性食品をやめたり、いろんな本などを読んでは試した。何が正しいのかわからなかったが、とにかくやってみた。

 ホメオパシーにもお世話になったし、漢方による湿布も試してみた。ワサビ治療というのもやってみた。特別な水を飲んだり、ノニジュースを飲んでいたこともあった。これが効いたというものはなかったけれど、急性的な症状にはホメオパシーで改善された。

 

 でも、娘本人が頑張ってくれたおかげで、今はきれいな肌をしているし、どこにもアトピーの痕はない。喘息も治ったし、今は好きなことを何でもできる体になっている。

 今になって、娘に感謝されようとは思ってもいなかったので、このメッセージはすごくうれしかった。

 

 病院に行かない、痒み止めも飲ませない。ステロイドも塗らない。辛そうな様子を見ている夫には度々、病院に連れて行けと怒鳴られた。だから、病院には何度か行ったが、もらってきた薬は一切使わなかった。娘も、私の気持ちをわかってくれていて、自分から薬を飲むとは言わなかった。

 大きくなって体力がついたのか、免疫力が上がったのか、体質改善されたのか理由はわからないが、中学に上がるころには、完治したと言っていいと思う状態になった。本当に感謝しかない。

 そして、娘は本当に丈夫に育っている。風邪はほとんどひかないし、熱が出てもすぐ下がる。鼻水や咳が出ても2.3日で治ってしまう。病院知らず、薬いらずだ。

 

 実は息子も同じように、喘息を持っていたし、アトピーもあった。息子の方は、薬を飲みたがったので、痒み止めなどは時々服用していた。こっそり、塗り薬も塗っており、幹部はどす黒く変色していた。そして、息子は体の一箇所だけがずっと治らずに成長したが、高校を卒業後に治ったと本人か言って来た。ただ、長年アトピーと戦った来たからか、皮膚は黒ずんで象の肌のようになっているので、これから少しずつきれいな肌になるのではないかと期待している。息子もかなり長い間辛かったと思うし、頑張ったなあと思う。

 

 痒みというのは本当に辛いと分かっていても、子どもたちがぼりぼり掻いて血が出ている様子を見て「掻くんじゃない!」と声を荒げてしまったこともある。ごめんね、辛かったのはあなた達なのにね。

 その罰が当たったのか、この歳になってから、手足が痒くて、いてもたってもいられなくなることがある。そして、喘息のような症状も。寒い時に走ったり、ほこりっぽい所に入ると、ゼイゼイするようになってしまった。

 私も頑張らないといけないなと思う。

 

 さて、娘へは、「頑張ったのはあなただよ。お母さんこそ感謝してる。辛い思いしても頑張ってくれてありがとう」と返信した。

 

 あきらめなくてよかったなと今しみじみ思う。そして、今思うのは、もし、娘や息子に子どもができたら、その子たちにも私がしてきたように育ててくれたらうれしいなと思っている。


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