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趣味は滝、学ぶべきは自然です③

3 趣味は滝、学ぶべきは自然です

  ◎佐々木 康行
   新潟県在住。出来る限りお薬に頼りたくない薬剤師。
   家族は、母と妻と長男、次男の五人。
   周りの方が笑顔になるのを見るのが大好きです


 実は私が滝の事で何かを語るには、もう少し時間(経験)と知識が必要なのかと感じていますが、今回は私が体験して感じた所だけを伝えさせていただきます。

 自然を相手に遊ばせていただいていますから、毎回毎回状況は違います。穏やかな時も有れば、荒れ狂う時も、水不足や極寒の時も有ります。当然ですが上流から何が落ちてくるのかもわかりません。

 先日も、大雨洪水警報が出ている中で、毎日入っている落差七十mの滝へ行きいつものように入りました。茶色の濁流とともに、小石が頭や肩にいくつも当たります。そしてドボンドボンと石が落ちて来る音も聞こえます。そんな中で、滝から上がろうと少し場所を移動した所で膝に石が当たり激痛が走りました。時には大人の頭ほども有る石や流木が落ちてきますから、こっちが自然をなめてイイ気になっている時などは、ガツンとやられてしまいます。

 極寒の時は、一瞬にして頭の中が真っ白になれますから、冬の滝は大好きですが、むしろ夏で穏やかな時の方が、こちらの気持ちのあり方を問われている感じがして難しいと感じる時も有ります。同じ事を、繰り返し続けている流れの中でも節目節目で様々な問いかけはやって来ます。そんな時に改めて迷ったり、おまえは本気かと問われたりする事もあります。

 私が滝に入る時に目指している所は、『滝つぼに転がっている石ころ』です。どんな状況であっても全てをありのまま受け入れて、勝つとか負けるとか、不平や不満も口にせず、存在しながらも他者に対して無害で有る、そんな静かに転がっている石ころみたいに滝に入っていられる人になりたいと感じています。勿論、そんな風に出来ている訳も無いですが、それでもいつの日にか、日常の生活で、そんな風に動ける人間になりたいと感じています。

 滝から上がった後は、とてもスッキリ爽やかで心穏やかな気持ちになれます。この状態で一年中過ごせたら、世の中の争いも無くなるのではと感じています。

 現在私が乗っている車には、五分単位で走行中の平均燃費が表示されますが、滝から上がった後にはカタログに記載してある数字よりも高い燃費が表示されます。きっと心穏やかな雰囲気が車に対してもよい影響を与えているのかと感じています。

 滝や五体投地をした後には、おまけのご褒美もやって来るみたいです。これはあくまでも私の感覚ですが、お陰様で自分自身の内に潜んでいるひょういか何かがサイダーの泡の様にポコポコと弾けて外に出て行っていただけ、自分自身の痛みや重荷がスッキリと軽くなって行く気がするのも、また有り難い限りです。

佐々木さん写真①
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趣味は滝、学ぶべきは自然です②

2 趣味は滝、学ぶべきは自然です

  ◎佐々木 康行
   新潟県在住。出来る限りお薬に頼りたくない薬剤師。
   家族は、母と妻と長男、次男の五人。
   周りの方が笑顔になるのを見るのが大好きです


 私は言葉や文字の背後に潜む嘘や矛盾を上手に見抜くことが出来無いので、常にそれらに惑わされ振り回されながら過ごしていますから、私にとって、言葉や文字は、とても不便な道具だと感じています。

 それでも、本物に触れて、本物を感じて、本物を知る事を通して、偽物に誤魔化されない事が出来る様になれると感じています。そして私が思うに自然の中には、嘘や矛盾が無いので全部が本物なのですが、人間だけが自分自身の言葉や行動を正当化したいがために、嘘に嘘を積み重ねて不自然な生き方をしています。

 だから私は、時間が有れば、自然を感じられる所へ行き、自然に触れる事を通して様々な学びや気づきをいただき、優しく癒やしてもいただいています。そんな自然を相手に遊んでいると小手先のテクニックは、何の役にもたたず、誤魔化す事もできません。自然は何でもお見通しです。そして大自然のスケールの大きさを知る事で自身の小ささを確認し、謙虚さを学ぶ事が出来ます。

 今でこそ私の趣味は、滝や五体投地(注1 ) だと言えますが、最初からそれをやると決めていた訳では無く、始まりは、今から二十年ほど前に、ずぶ濡れになりながら遊んだら楽しいだろうな…。そんなイメージが繰り返し繰り返し私の中にやって来ました。当時の私はそれが何を意味しているのか理解出来ずに自然な流れにまかせていました。

 たまたま、二十五年ほど前に知り合ったNさん(座禅断食の指導者)は、チベットで命がけの修行をして来た方で現在も朝の二時から滝に入り、殆どの時間を自身の修行の為に生活をしている方でした。そんな風な生活をしている方を間近で見ていた私は、滝はとても神聖な場所で遊び感覚で入る所では無いと感じながらも、Nさんにお願いして滝に連れて行ってもらいました。そんな初めての滝は、Nさんが吹くほら貝の音に背中を押されながら、キラキラ輝く光の中で心地好く入らせていただきました。

 その後は、時間を見つけては入りに行き、休日の殆どは入りに行き、そして状況が許せば、ほとんど毎日入るまでに私の生活の中に入り込んでいます。それでも私の場合は、修行をしているつもりは無く、趣味の範囲で行っていますから、我慢や無理はしません。楽しくて気持ちが良いから続けているだけです。

 自分にとって本当に良いと感じる物ならば、一度だけの体験や知識だけで終わったら勿体無いと感じています。そして何でも良いのでしょうが、何か一つのことをやり続ける事に、たぶん意味が有り、そして続ける事でしか見えてこない風景が有るのかと感じています。

(注1 )  五体投地 頭手足を投げ出して祈る


趣味は滝、学ぶべきは自然です①

1 趣味は滝、学ぶべきは自然です

  ◎佐々木 康行
   新潟県在住。出来る限りお薬に頼りたくない薬剤師。
   家族は、母と妻と長男、次男の五人。
   周りの方が笑顔になるのを見るのが大好きです。


 新潟在住の五十七歳の佐々木と申します。

 私は自然に触れる事が大好きなので独身時代から、ダイビングやスキーとアウトドアの趣味を楽しんできました。そして東京で生活していた時に、同じ様にダイビングやスキーを楽しみ出身も新潟で仕事も医療系と、私と数多くの共通点を持った女性と出会い意気投合しました。都会の生活をリセットして、新潟で結婚生活をスタートさせました。

 当時の私はそれなりに結婚に対して夢や希望を持っていましたから、同じ物を見て、同じ体験をして、2人はいつもラブラブ…。そんな妄想がふくらんでいました。

 ところが、私にとってのダイビングは、海に入って水中散歩してぷかぷかしているだけでも十分に満足出来るので、新潟の海でも極寒の時と高波の時以外ならOKなのですが、妻の場合は、カラフルなお魚達に会うのが好きで、冷たい海は嫌いで、海から上がった時には最低でも水のシャワーが欲しいという感じです。言葉で言ってしまえば趣味はダイビングなのですが、それに対するお互いの方向性が全く違うのです。スキーに対しても同様で、自宅から一時間も走ればいくつかのスキー場が有ります。田舎のスキー場ですが、私には十分楽しめますが、妻はオシャレで設備の整っている所を望みます。

 そんな二人は、基本的な方向性や価値観が合わず、興味を示すポイントも別々ですから、自然な流れの中で、妻は私のやっている事には興味が無く、私は私で、妻は妻で遊ぶ様になって行きました。それでもこの妻からのほって置かれ加減が、私にはとても心地好く、気がつけば、私のやりたい事を好きなだけやらせていただけるそんな有り難い環境になっていました。

 今となっては、これはこれで夫婦としての調和がそれなりに保たれている状態なのですが、いきなり現在の様な調和が出来た訳では無く、結婚生活をスタートさせた二十八年前は、お互いの価値観の違いから様々な葛藤が有りました。離婚して欲しいと涙ながらに言われた事も有りました。それでもお互いが少しずつ時間をかけて変化成長しながら、共に過ごした時間の長さのお陰で、相手の事が理解出来ないなりにも、それぞれの領域を侵さない絶妙な間合いが時間の流れと共に作られてきたのは有り難い限りです。

 そんな妻を、今生の私にとって最高のパートナーだと気づき、現在では、心の底から感謝しています。

頑張らない生き方 第3回

「頑張らない生き方」③
 
榎田 博文
(えのきだ ひろふみ) 
 1973年 北海道函館生まれ 精神保健福祉士。
 自らが心の病に罹りカウンセリングによって「自分を認めること」 や「思い込みを変える」ことで救われた。
 以来「頑張らない生き方」や「人間関係を変える」ことをテーマに したセミナーや企業研修を各地で開催している。

前回、自身の思い込みにより「率先して苦労を選択」していたとお話しました。
しかしカウンセリングによって更に深い闇の部分が見つかったのです。微かに残る過去の記憶、そして意識していなかった事まで・・・。カウンセラーの誘導により、辛かったこと、悲しかったこと、その時々の年齢や状況に退行させてもらい、再び同じ気持ちや感情を味わいました。

 私の場合は、小学生の頃にいじめられた記憶。友達から馬鹿にされ、仲間外れにされた記憶。目を瞑り、その事を再体験した私はとても悲しくて・・・惨めで・・・横になったまま涙が止まりませんでした。
子ども時代の私は運動も勉強も得意ではなく、その劣等感から構ってもらいたい一心で誇大な嘘をいつもついていました。子どもの世界でいじめるに足る理由が私にはたくさんあったと思います。そして同級生から更に嫌われない為に別ないじめに加担もしていました。カミソリで自身の手首を切ったときの記憶・・・。 ずっと心の奥底に閉じ込めてきた悲しみや罪悪感などの想いが溢れ出してきました。
   
そしてその際、私の潜在的な想いが初めて口から発せられました。
   
「自分には自信がない。自分の価値を信じられない。だから人の2倍3倍頑張らないと認められない。頑張りを止めるのが恐い、止めると一人前として扱われなくなる。ずっと馬鹿にされてきた。いじめを受けた。すごく惨めだった。そんなのはもう嫌だ。もう惨めな思いはしたくない。だから馬鹿にされないために頑張らなきゃいけないんだ。」
  
私が必要以上に頑張ってしまう本当の理由がわかりました。それは「自身への無価値感」です。常に「頑張って」いないと周りから疎外されてしまいそうで恐くてたまらなかったのです。

「頑張り」にはポジティブな頑張りとネガティブな頑張りがあると思います。ポジティブな頑張りとは、自分を進歩させるために目標を持ち、それに向かって努力すること。ネガティブな頑張りとは、自分の中の不足を埋めようと必死になることです。私はネガティブな頑張りでした。しかし自分の無価値感を埋めるための頑張りには終わりが無く、いくら人に認められてその時は充足できても自分を認めない限り、すぐに枯渇してまた頑張り続けてしまうのです。
  
原因を自覚した私は生き方を変えました。まずは自分の気持ちを大事にすること。そして他人優先をやめ、いい人をやめることです。それは私にとって吐き気がするぐらい恐ろしい事でした。仕事を頼まれても心が苦しいなと感じたら「出来ません」と言う。困ったことがあって苦しくなったら素直に「助けて」と言う。全て今まで出来なかった事をしてみました。始めの内は「嫌われたらどうしよう」という恐怖感から呼吸困難になる程でしたが自分本位にした結果、不思議と周りに取り巻く人が逆に増えました。私のギブアップにたくさんの同僚や部下が助けてくれました。私の周りにこんなにも多くの素晴らしい仲間がいたのに、私は嫌われたくない一心から「いい人」の仮面を被り苦しい事も我慢し、認められたい一心から強気の鎧をまとって弱い自分を隠し、助けを拒み、人を寄せ付けないでいたのでした。

今 頑張っていて・・・でも心が苦しいあなた。我慢して自分の気持ちを後回しにしていませんか?
その我慢は周りが望んでいることですか?その我慢は本当に必要な事ですか?
「だって・・・」「~なんだからしょうがない」という気持ちが沸いて来たら一度その理由を疑って考えてみてください。その必要な我慢はあなたが創り出している「思い込み」や「執着」かも知れません。


長くなりましたが、頑張らない生き方とは、「自分を大事にする生き方」です。
苦しくなったら自分が今、どう感じているか?をそっと問いかけてあげてください。

「本当はどうしたいの?」

あなたの心の声に耳を傾けてみましょう。わかってあげられるのはあなただけです。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

頑張らない生き方(第2回)

「頑張らない生き方」②
 
  榎田 博文(えのきだ ひろふみ) 
1973年 北海道函館生まれ 精神保健福祉士。自らが心の病に罹りカウンセリングによって「自分を認めること」や「思い込みを変える」ことで救われた。以来「頑張らない生き方」や「人間関係を変える」ことをテーマにしたセミナーや企業研修を各地で開催している。


前回お話しした、自分自身を苦しめてしまう「思い込み」とは一体どんなモノなのでしょうか?
 これを知るきっかけとなったのが、カウンセリングです。カウンセリングの基本は「本人が答えを導き出す」 ことなのでカウンセラーは一切アドバイスをしてくれません。ただただ自分の想いや悩みを傾聴し、「その時どう思ったの?」「どうしてそう感じたの?」と訊いてきます。これがとても大事で、初めは考えるのが面倒であったり、心の表面部分しか感じていなかったり、大抵は「わかりません」と答えます。
 それでもカウンセラーは話に対して何度も質問を繰り返します。そして当事者はその度にひたすら自分の気持ちと向き合うのです。不思議なことに、それを頭で考えているうちは答えが出ず、でも何故だか涙が溢れ出し、時には嗚咽するほど泣いてしまったりします。その感情表出をカウンセラーが温かく受け入れてくれて初めて抑圧から解放され、頭ではなく心から言葉が発されるようになります。

このカウンセリングによって私を縛っていた思い込みが分かりました。
私が持っていた常識は「世の中に楽な仕事は存在しない」「お金は苦労して稼ぐものだ」「働かざるもの喰うべからず」というもの。子どもの頃から何度も言われ続けてきた価値感らしく、それを私は「苦労しなければお金をもらう価値はない」という意味に変換していました。これは表面上では全く意識しておらず、カウンセリングで「なぜ?」「どうして?」と訊かれ続けてようやく出てきた答えです。自分のことなのに、「こんな事を考えていたのか・・・」と驚きました。世の中のスピードが早くなったことで私達は、自分の気持ちを感じ取る余裕を無くしているのかも知れません。

 この「自分の気持ちを感じ取る」ということがこの先の「頑張らない生き方」の大きなヒントとなります。

 さて先ほどの私の価値感「苦労しなければお金をもらう価値はない」。この思い込みにより私は率先して「苦労を選択」していたことがわかりました。そして価値感はその人にとっての正義でもある為、人にもそれを押しつけようとします。当時 苦労至上主義だった私は、定時で帰る同僚や「出来ません」と、いとも簡単に仕事を断る部下に対していつも腹を立てていました。「何でこんなに楽をしている人間が給料をもらっているのか・・・」とイライラ。私はそんな人間には仕事を任せられず、「自分がやるしかない」と大量の仕事をいつでも抱え込んでいました。全てを職場の体質や周りの人間のせいにして・・・。

 しかしカウンセリングではそれさえも表面上の理由でした。更に深いところに苦労を選択する本当の理由が隠されていました。次回はそのことについてお話を致します。 



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