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「ナチュラルワインに魅せられて」 第3回

「ナチュラルワインに魅せられて」 最終回
   ~良いワインは造り手の個性が見える~

       小竹 健文(こたけ たけふみ)
1966年高松市生まれ。大学卒業後東京で29年間大手電機メーカに勤務。2018年6月末に退職し、2019年1月高松市でワインバーを開業。既婚。子供2人。JSAワインエキスパート。

 2018年4月、日本海を渡るジェットフォイルで人生2回目の佐渡に降り立った。フランスのジュラでナチュラルワインの天才醸造家として名をはせたジャン=マルク・ブリニョに再会し、ワインバーを開くことを報告するのが目的だ。数年前にふとしたきっかけで佐渡に行き、ジャン=マルクを訪ね、飲ませてもらったワインが忘れられずに、気が付くとサラリーマンをやめてワインバーを開くところまで何かに導かれるようにやってきた。
ジャン=マルクは奥様の聡美さんとともに2012年、ジュラから新潟の佐渡に移住してきた。このニュースはナチュラルワインの世界で驚きとともに広がったそうだ。佐渡はブドウが栽培されたことはないため土壌が健全なうえに、朱鷺(とき)の再生のために田んぼにも農薬がほとんど使われておらず、貰い農薬のリスクが極めて低い。加えてジュラの気候風土と似ているところが多いらしい。子育てを日本で行うことを考えていた夫妻は、このような理由から移住先として佐渡を選んだ。まだワインを造るまでは至っていないが、ブドウ栽培もスタートしている。発想も行動も、過去の自分にとらわれることがない。自由なのだ。
この日、夫妻が営むレストラン「La Barque de Dionysos(ラ・バルク・ドゥ・ディオニゾス)」では、焼き鳥の料理人を招いて小さなイベントが開催されていた。参加者はほとんど地元の方ばかり15名ほど。新鮮な鶏肉だけでなく、地元の名人と呼ばれる方が採ってきた山菜や、参加者が持ち込んだ釣りたての魚も調理されテーブルに並ぶ。ジャン=マルクも上機嫌でどんどんワインを開けてくれる。彼が北海道のナイアガラというブドウから醸したワインである「くまコーラ」の初めてのヴィンテージも、たった600本の生産量の中の数本が抜栓された。沢山の美味しいお料理とワインで、参加者はどんどん盛り上がっていく。そう、ワインは楽しく飲むものなのだ。料理との組み合わせも難しく考える必要がない。

熊コーラ②
クマのような風貌のジャン=マルクが造る発泡ワインなので「くまコーラ」

ジャン=マルクに沢山話をすることができた。高松という街のこと、そこでワインバーを開くこと。ナチュラルワインへの思い、そして彼への感謝。彼は多くを語らず、ニコニコと優しく聞いてくれていたが、一瞬真剣な表情になってこう言った。
「商売なので簡単に売れるワインを置きたくなることもあるだろうけど、妥協してはいけない。本物のワインをきちんと選んで出し続けていれば、時間はかかってもわかってくれる人が必ず増えてくる。我々が、ここ佐渡の皆さんに受け入れられてきたように」
酔いも手伝って、少し泣きそうになるほど心に沁み入った。

ワイン ①
ジャン=マルク・ブリニョと筆者

客席の盛り上がりが最高潮に達したころ、ジャン=マルクが立ち上がり、お店の奥のセラーからごそごそと1本のワインを取り出してきた。彼が皆の前でしゃべり始める。聡美さんが流れるように自然に通訳する。
「みんな今日はありがとう。これは以前フランスで自分が造ったワインだ。何年かかるかはわからないが、日本で、この佐渡でこういうワインを必ずまた造る。それを改めて皆さんに宣言したい。なので、今日皆さんにもこの味を覚えておいてほしい」
そうして振る舞われたそのワインは、優しい味わいの中にはっきりと1本芯がとおっていて、ジャン=マルクそのもののようだった。

自然な農法により育てられたブドウから自然な醸造で造られたワインには、造り手の個性や人となりが見え、これが何者にも代え難い魅力となる。ジャン=マルクの言葉を胸に秘め、造り手の個性が感じられる本物のワインをこれからも高松で紹介していきたい。


小竹さんのお店「C'est bien(セビアン)」の情報はこちら↓
Facebook → https://fb.me/CestbienTakamatsu
Instagram → http://instagram.com/cestbientakamatsu


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ナチュラルワインに魅せられて第2回

「ナチュラルワインに魅せられて」 第2回
  ~ワインの酸化防止剤~

       小竹 健文(こたけ たけふみ)
  1966年高松市生まれ。大学卒業後東京で29年間大手電機メーカに勤務。
  2018年6月末に退職し、2019年1月高松市でワインバーを開業。既婚。子供2人。JSAワインエキスパート。

【ワインの酸化防止剤】
前回ナチュラルワインの定義で触れたように、ナチュラルワインは醸造において余計なものが極力加えられてない。
日本で売られているワインには国内産、海外産にかかわらず、裏側のラベルに「酸化防止剤(亜硫酸塩)」などの記載があるはずだ。ワイン醸造における酸化防止剤とは、硫黄化合物である亜硫酸塩(以下SO2)である。数千年前のワイン製造に使われたという記録もあり、人体に影響がない量が各国で規定されている。ワインを安定させる効果もあり、そもそもワインのアルコール発酵の過程で微量のSO2が自然に生成される。しかしSO2は確実に香りや味わいに影響を与える。これを良しとせず、ワインはもっと自然なものであると考えるワイン生産者はこれを重視し、SO2を極力もしくは全く使わない努力を行っている。ブドウの栽培においても、醸造においても、リスクが高いにも関わらず。
ナチュラルワインのラベル(エチケット)の例。エチケットにメッセージを表現する生産者もいる。アクセサリーにみえてSO2に×がつけられていたり(次の写真)、
    ラベル

ピエロの頭から出ているものはワインに不要なものが列挙されていて、その中にSO2も記載されている(下の2枚)。

    ピエロ2

ピエロ拡大2

SO2がほとんど使用されていないワインは、温度変化や振動に敏感で、扱いが悪いと本来の香りや味わいが損なわれる。そのため、良心的なインポータは、ワインの生産地から港、国境を越える船内、国内での港から倉庫、倉庫から一般消費者という流通のあらゆる場面で、天敵となる温度変化がない輸送手段を実現している。良心的な生産者、良心的なインポータが連携して、はじめて我々は生産者の手元とほとんど同じ状態のワインが飲める。製造にも流通にもコストがかかる。1本1,000円以内で販売というわけにはいかない。

ところが、日本のスーパーでは「酸化防止剤無添加」という国産ワインが棚に並んでいる。しかも価格は数百円。製造にも流通にも手間がかかるSO2無添加のワインが、人件費も高い日本で、こんな価格で販売できるわけがない。これらのワインは、海外から濃縮果汁を輸入し、日本で水を加えてジュースにしたものに砂糖と培養酵母を加え、加熱殺菌したもので、風味が不自然になり、さらに香料などで無理やり調整しているものもある。M社やS社といった、日本人ならだれでも知っている有名で上質なワインも造っている大手メーカがこういうお酒をワインとして販売しているので、さらに消費者を混乱させている。そして、実際に売れてしまっている。「酸化防止剤無添加」の商業利用だ。

こういったワインと正反対に、真摯なワインの造り手は、試行錯誤を繰り返しながらSO2をほんの少量使用したり、ゼロにしたりしている。結果として、不安定で管理の難しいワインが出来上がったものもある。しかし、こういうワインにこそ、造り手の個性や生き方が垣間見えるような魅力が生まれるのだ。

次回(最終回)は「良いワインは造り手の個性が見える」です。



ナチュラルワインに魅せられて 第1回

「ナチュラルワインに魅せられて」 第1回
  ~ナチュラルワインとは~

       小竹 健文(こたけ たけふみ)
      1966年高松市生まれ。大学卒業後東京で29年間大手電機メーカに勤務。
      2018年6月末に退職し、2019年1月高松市でワインバーを開業。
      既婚。子供2人。JSAワインエキスパート。


昨年6月末に東京で29年続けたサラリーマンを辞め、故郷の高松で小さなワインバーを開くことにした。たった6か月ですごく遠いところに来てしまったような気もするし、元々遠いところに行ってしまっていたのがあるべき場所に戻ってきた気もする。新しい環境に身をなじませながら、こつこつ準備を進めてようやく開店の目途がついた。

 そんな2019年の年明け、勝山晋作さんが亡くなったことをSNSで知った。勝山さんは日本に「ナチュラルワイン」を紹介した先駆者で、日本各地で一度に1,000人を超えるワインラバーを集めるイベントの主催者でもあった。東京の小さなスタンディングのワインバーで2度ほどお話させていただいたことがある。一番記憶に残っている言葉は、
「でもね、ワインを飲みながらワインの話ばかりしているなんてつまらない。」
 当時の自分は、職業としてのワインを意識し始めていたこともあり、ワインの情報を求めていた。いろんなワインの話を勝山さんから伺ったあとで、彼はこう言ったのだ。そう、ワインは難しく考えて飲むものではなく、楽しく飲むものだ。何人かで飲むときは会話を弾ませてくれるし、一人で飲むときは読書や思考を助けてくれる。
新年早々の訃報は、そういう初心を改めて思い出させてくれた。

縮小版5
 勝山さんの最後の著作「アウトローのワイン論」

 この度ムックマムさんより、ありがたい執筆の機会をいただいたので、3回にわたってワインの話を書いてみる。読んでいただいた方が、ワインを飲んでみたくなったと思っていただけたら成功というつもりで。

【ナチュラルワイン】
 そもそも自分がワインバーを開くほど、ワインに深入りしてしまったのは「ナチュラルワイン」に魅了されたからだ。
 ワインは本来、ブドウを搾ったジュースを置いておくと、勝手に発酵が進んでアルコールになったもので、すごくシンプルなお酒である。世界で最初のワインは8,000年も前にジョージアで造られたらしい。
そんな大昔からつい70年前まではずっとワインはシンプルなお酒だった。ところが戦後、農業は大量生産指向となり、ブドウ栽培にも除草剤などの農薬や化学肥料が使われるようになった。農薬により微生物が死んでしまった土壌で栽培されたブドウは病気に弱く、さらに農薬や化学肥料が使われる。農薬を使いすぎると発酵に必要となる酵母も死んでしまうので、人工的に培養された酵母を使うようになる。こういうブドウから造られるワインには力がなく、酸化防止剤もたくさん使われるようになる。悪循環だ。
「ナチュラルワイン」は、この悪循環を断ち切るワインの製造方法であるだけでなく、ある種の思想でありムーブメントだ。でも、もっとシンプルに、長いワインの歴史の本来の造り方に戻ろうというものでもある。つまり、「ナチュラルワイン」を定義すると(1)無農薬で化学肥料を使わず栽培したブドウから、(2)なるべく余計なものを加えず天然の酵母で醸造されたワインということになる。

次回は、ワインの添加物について書いてみたいと思う。

北海道胆振東部地震を体験して(続編)②

北海道胆振東部地震を体験して(続編)②
                     北海道のある地方自治体職員


2回目のボランティアは、11月の初めに予定していましたが、この日は作業依頼がなくなり、キャンセルとなってしまいました。ただ、11月に入ると仮設住宅が完成したため、引っ越し作業の依頼が来ていましたが、平日の依頼も多く私の予定と合わずお手伝いできませんでした。しかし、11月の中旬に町でイベントがあり、そのお手伝いをすることができました。このイベントは、全国から集められた避難物資(防寒具等の衣服や日用品)と町の災害物資のバザーで、その日に子どもたちが楽しめるブースを出店して欲しいとのことでした。私は、現在子育て分野の仕事もしており、被災した子たちの喜ぶことが出来たらいいな、子どもたちの笑顔を見たいと願い、是非参加したいと思ったのです。
ただ、私一人では子どもたちに喜んでもらえることはできそうもありません。そこで、日ごろからお世話になっている、バルーンアーティストさんに思い切ってお願いすることにしました。すると、ちょうど日程が空いていたのでご多忙の中お引き受けいただけたのです。そして、その方を通じてもう一人アーティストさんも来てくださることになり、さらに私は職場仲間の保育士さんにお願いして4人で縁日風のブースを作ることにしました。

行くことに決めてから5日ほどしかありませんでしたが、それぞれにアイディアを出して景品を作ったり、遊具を調達したりして、なんとか、準備は整ったのです。
そして当日、イベントは11時から14時までの3時間。1時間前に会場に入って準備していると、小学6年生の児童2人がやって来ました。今回の出店のお礼と、小学校最後の学芸会ができなかったので、代わりに早来小6年生で「笑顔を届けよう集会」を予定しており、町民や小学校児童が元気になるようなメッセージを作りたいとのこと。できれば町民の数と同じ笑顔の写真とメッセージを集めているとのことでした。題して「8,000人の笑顔プロジェクト」!!私たち4人も協力しメッセージを送りました。

イベントが始めると、午前中は幼児が中心でしたが、午後からは高学年の子ども達もブースに遊びに来てくれました。目の前でできるバルーンアートに目を輝かす子。ゲームをして笑顔になる子。何度も何度もやりたいと同じゲームにはまる子など、たくさんの笑顔を見ることができました。

また、私たちの他にも何組かそれぞれ子どもが楽しめる内容のブースを出していて、それを見ると参考になることもたくさんで楽しいものでした。
そして、何とか、予定時刻まで、風船を作ったりゲームをしてもらったりして無事に終了することができました。

今回、風船代は私が負担する予定でしたが、バルーンアーティストさんが、被災した方たちのために、ぜひ負担させてほしいと言って下さり、お言葉に甘えることにしました。他の2名の方々も急なお願いに快く協力してくださって、本当にありがたくうれしかったです。
また、安平に住む叔母にイベント会場で偶然に会うことが出来たのもうれしいことでした。叔母は一人暮らしで、私がいる子ども向けの会場には足を運ぶことはなったのですが、私がトイレに行ったとき偶然に廊下で会ったのです。叔母の近況がわかり元気な顔を見られたので、この町にして良かったと思いました。

被災地では、厳寒期に入りこれまで以上に大変な暮らしをされている方が多いと思います。そして、行政の方たちもまだまだ通常の暮らしができていないだろうと思うので、また、何かお手伝いできることがあったら協力したいと思っています。被災された方々の一日も早い復興を願うばかりです。

もうすぐ新しい年がやって来ます。平成も残り少なくなりました。どうか、新しい年が自然災害のない平和な年となりますよう。

北海道胆振東部地震を体験して(続編)①

北海道胆振東部地震を体験して(続編)①
               
北海道のある地方自治体職員

前回、平成30年9月6日未明に発生した北海道胆振東部地震の体験を書かせていただきました。
その後私の生活は、公私ともに通常の生活に戻りました。ただ、震災に関連する業務はその後もなくならず、通常業務に加え、忙しい日々を送っています。しかし、ひと月ほど経った頃は少しずつ余裕もできてきたため、かねてから考えていた、被災地ボランティアに行くことができました。

ボランティアの方法は、新聞等で掲載されており、募集している町(厚真町・鵡川町・安平町)のホームページやFacebook等で日にちと仕事内容を確認できますが、受付時間までに現地に直接行けばよい町と、あらかじめボランティア登録したうえで、募集日に事前の予約をしてから活動するという町がありました。私は、叔母も住んでいる安平町に行くこととし、10月中旬と、11月の初めの2日間を予約しました。
ただ、この頃になると、平日の受付は行っておらず募集人数もかなり減って来ていましたので、私の体の空いている日には、すでに募集人数が集まって募集を締め切っていたりしていました。

1回目のボランティアは、被災した家屋内の清掃と震災で出たごみの片づけ等でした。ボランティアセンターに着くと、いろいろな町からのボランティアさんが来ていることがわかりました。札幌市からの方が多いようでしたが、道内各地や、道外の方も多かったです。年齢も若い方から年配の方まで様々です。
まずは、町職員の方が現在の町の様子を教えてくれました。特に、小中学生は、学校が避難所になっているため、児童たちが仮校舎で授業しており、かなり不便で部活動もなかなか思うようにできないこと。一番残念なのは練習してきた学習発表会(学芸会)が中止になってしまったことだそうで、6年生は最後の発表会だったので、さぞがっかりしただろうと思いました。
また、家が壊れてしまった方も、国からの保障では、建替えどころか、解体する費用も出ないとのこと。こういう話はテレビではあまり報道されておらず、そのことを知っただけでも被災地に来た甲斐があったなと思いました。そして、私の行った日は自衛隊の炊き出し活動の最終日であり、一定の節目の日だったようでした。

町職員の話の後は、いくつかのグループに分かれて作業が始まりました。私のグループのリーダーさんは、被災地からは車で3時間ほどかかる町から毎週一人でボランティアに来ている若い女性でした。平日は通常に仕事をし、週末は毎週安平町に通ってくるという彼女。本当に頭が下がります。

町の中は外観ではそれほど被害はわかりませんが、家の中では割れたガラスが散乱したままのところや、避難所生活のため、家の片づけができない方もいました。崩れた塀や、礎から傾いている建物などもあり、被害の大きさがわかりました。
私たちは、町を回って集めた災害ごみを集積所に運んだのですが、集積所はものすごい量のごみの山となっており、びっくりしました。公園だったところを集積所にしており、ごみを種類別に分けていました。冬期間は積雪もある地域です。今後どうやってこのごみ処理をするのだろうと考えると被災地の抱える問題は本当に計り知れないなと思うのでした。

次回は、2回目のボランティアについてです。
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