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のりかうまれるなつ(父に捧ぐ)

山地 法香(やまじ のりか)
    1962年7月生まれ 55歳
明治大学短期大学部法律学科卒業 一男一女の母
趣味は登山と音楽 香川県高松市在住

庵治中学を皆勤で卒業後、私は高松第1高等学校に入学した。昭和53年のことである。
成田新国際空港が開港し、本四架橋くわ入、日中平和友好条約が正式に調印された1978年に高校生になった。
 希望に胸をふくらませ母の母校でもある一高に通うことになった。通学はバスと電車を乗り継いで約50分の道のりだった。電車に揺れながら、真由美ちゃんと前夜のザ・ベストテンに出演していた松田聖子の話で盛り上がった。フォークやロックを口ずさみ、エレクトーンを弾いた。
エレクトーンと言えば、小学校の時の尾島山上スカイレストランでの発表会では、母のお手製のパンツスーツを着て「おもちゃのチャチャチャ」を弾き、兄と父も見に来てくれたことを思い出す。
 高校は、自由な校風だった。それに加え、両親ものびのびと育ててくれた。学校に出す、家庭調査票の教育方針の欄に父が「自由主義・個性の尊重」と記入していたのを記憶している。
 高校時代はハンドボール部に所属し、汗を流した。兄の影響で旅行を始めたのも高校の時からである。周遊券で山口、東京、横浜を回り、ユースホステルにクラスメイトと宿泊し思い出を作った。
 短大は東京。山登りのサークルを選んだ。新人養生山行は、雲取山。班別山行は八ツ岳、夏合宿は南アルプス、尾瀬。新宿アルプス広場にキスリング(写真のような登山用のザック)を背負って集合した。今も山歩きが好きで、飯野山、香色山、剣山など友人と登る。サークルの同期・後輩とは現在もなお、家族ぐるみの交流が続いている。(風景写真は尾瀬に行った時の一枚)
キスリング
尾瀬3

「涼心炎空 のりかうまれるなつ」と、亡き父が作り、知人に送った和紙の暑中見舞いが手元に一枚ある。7月の終わりに産まれた、初めて女の子の父になった喜びが感じられる。

島津さんはがき (3)


幼い頃は、父が好きだったし、尊敬していた。大事にしてくれた。要所要所で道を作ってくれたり、アドバイスをくれたおかげで今の私がある。女は苦労したらいかん、パパみたいないい男と結婚するのが幸せだ、とユーモアたっぷりに話していた父。助けてもらった父、教えてくれた母、愛してくれた祖母、ひとつ上の兄に感謝しながら、今日から、ゆっくりと、丁寧に、少しずつ、着実に、歩んでいきたい。

私は、父からは堅物、先輩からは硬派と言われた。子宝にも恵まれた今は、夫と静かな生活を送っている。これまで大きな挫折や失敗もなく来られたのは、両親の愛があったから。周りの方々のお陰ではないか。父が亡くなった今、しみじみそう思う。

ミーン、ミーンとセミが鳴き始めた。夏が終わる。


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子育ては子育ち ~母になってみて少しわかってきた事~第3回(最終回)

こんにちは\( ˆoˆ )/
家後香織(やごかおり)です!

3回目の連載になります!

今回は私達の今の生活のきっかけと言いますか、母親になってみて大きく変わった事などを書いていこうと思います。

2011年3月 東日本大震災がありました。その時 私達夫婦は、福島県いわき市に住んで居ました。そのお陰で悲しい思いも、良い経験もした様な気がします。

そこから 私達夫婦は 「何かがおかしいかも、」と思い始め この国の事、社会の事、原発の事、放射線の事、食生活の事、全て自分達で調べる様になりました。

自分達、そして未来の子ども達に何が一番大切なのか。

私達家族は 何が一番幸せなのか。息子に何を残してあげられるのか。

その答えはまだまだ自問自答していますが、これから起こる未来の事を大切な家族と共に考え話し、感じていこうと思っています。

息子が 「知りたい」「感じたい」ということに真摯に向き合えるように。

毎日毎日 息子から教えてもらう事が沢山ありすぎて 本当に感謝しかないので
私も教えて貰った事に応えられる様なお母さんになりたい。

私達にしか築けない 見えない「何か」を築いていけたら 最高にハッピーだと思っています。

わたしと毎日一緒に居てくれる家族に愛を込めて!!

スタッフ対談 (前編)  健康寿命の分かれ道

ムックマムスタッフ対談(前編)
~健康寿命の分かれ道~

ムックマムのスタッフは、複数の人に同じメールを配送できるメーリングリスト機能を使っての制作会議を行っています。そのメールでのやりとりの中で、時々一つのテーマで盛り上がることがあります。
今回は、そんな中から「健康寿命についての話」が出てきましたので、スタッフ対談としてブログでご紹介いたします。
長寿はいいけどボケたり寝たきりにはなりたくない。でも既に親の世代は、とか、自分だってならないとも限らない、とか、話は尽きませんでした。

A子
健康長寿の分かれ道はなんだろう?って、40歳を過ぎてから考えるようになりました。 

O子
その気持ちよくわかりますね。
私は仕事で老人福祉にも関わっていますが、長寿の秘訣は、幸せなこと。経済的余裕、医療や食事、人間関係や余暇活動の充実していることは関係ありますね。
あんまりお金がなくても仕事にあくせくしていなくて、充実した人生を送っている人も長生きしてる。
くよくよしないのも大事ですよね。
些細なことでも幸せと思えて、感謝して生きることも大事。
まあ、長生きがすべてでなく、幸せだったと死ねる人生を送ることが大事ですけどね。

E子
私が義母と30年近く一緒に暮らしてきてわかるのは、老いきてからの姿って、それまでの信念とか生き様が滲み出るというか、その人となりの集大成なんだなということです。
うちには近所のお年寄り仲間が集ってお茶をしていくのですが、一番元気なのは、とても前向きな93歳のおばあさんです。今でも2キロ離れたスーパーに大人用三輪車に乗って出かけるんですが、自分より年下のおばあさん仲間に声をかけて注文を取ってまわり、みんなの分まで買い物してきてくれるんですよ。お礼を言うと「いや、自分の(健康の)ためだから」と。

うちの義母は人をアテにしてばかりで、メガネ(老眼鏡)をかければ自分で読める文字も、「めんどくさい」と人に読んでもらうような人でした。この性分は今も変わらず、日々何もしようとせず、毎日テレビの前にじっと座っているだけの人生です。楽しいか聞いたことがありますが、楽しくないって。温泉や買い物に連れて行っても、「誰かのお世話にならないと生きられないんだから当たり前」と思っているようす。
私は義母みたいには絶対にならないと決意させてもらって、そういう意味では私にとってとてもご縁のある人であることには間違いないですね。(笑)

O子
一人暮らしの高齢者は元気な人が多いですよね。それは、なんでも自分でしているからかもしれませんね。
でも、一人暮らしでもやっぱり認知症にはなります。
小さいことでも幸せに思って、楽しく、感謝して暮らすことは大事だけど、認知症には負けちゃうのかなといつも考えます。
私にとってはやっぱり認知症にならないことが人生のテーマだなあ。

S子 
私も認知症にならないことがテーマだな。よく笑う人、おしゃべりな人は認知症になりにくいと聞くので、私も最近それを意識するようになってきたよ。よく笑うこと、おしゃべりすることって私にすごく足りないことだと危機を感じていて・・・。
今までは何の気なく人と会話出来ていたんだけれど、その内容を振り返ってみると、噂話であったり、愚痴ではなかったかな?と思うようになって。そういうのってマイナスなことだから、やめようと思ったら、何を話したらよいのかわからなくなってしまって。

あと、そもそも人とあんまり話さないもんだから、大爆笑をすることもほとんどなく・・・で、仕方がないから、落語でも聞いてみるか~~という心境になっているかな。
会話については、意識しすぎて何話そう??となるので、ほんまに年老いたら、人工知能のロボットでも居間に置いて話し相手をしてもらうしかないか・・・と考えたりしている次第です。

前編はまず、この辺で。次回もお楽しみに


世の中が変わる時

世の中が変わる時
                     ムックマム編集長 小林あゆみ

 ムックマムがブログ版になって今回で100号。冊子としてスタートしたのは19年前。10年ひと昔と言うけれど、世の中はふた未来入れ替わったと言えるわけですね。

 始めた頃はエコロジーという言葉さえ周知されていなくて、私たちみたいに環境だの自然だの言っている輩は、極端な悲観主義者か変わり者のように思われていたと思う。それがいつしか学校教育でも環境問題が取り上げられるようになり、漠然とながら誰もが「このままではヤバい」感を持つまでになった。
船


 そこへ来て3・11と原発事故。これを機に世の中大きく変わるのではと期待を持った人も少なくなかったと思う。今のままでは自然環境や人の命(健康や心)が犠牲にならざるを得ないから、どこかで大きく切り替えなきゃならなくて、そのためにはある程度の痛みも覚悟かなあと、心ある人たちは思っているはず。だけれど、案外、変わっていない。
kodomo


 ところが先日、経済が専門の先生のセミナーに出たら、もうそろそろ今の経済体制は崩壊しますよと話している。トランプ政権になったことで世界中のバランスが変わっていきますと。具体的で納得のいく説明だった。そして次の社会は今とまったく違った価値観で築きあげていくしかなく、それはロハスな社会ですと。驚いた。こんなところでロハスなんて言葉を聞こうとは。東大出の、世界のオモテもウラも知り尽くした経済の専門家が見つけた結論がそれ?
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 先生の説明では、これまでは「欲望と競争」の原理で動いていた。人よりいい成績をとり、人よりいいところに就職し、人よりいい生活をすることが人生の成功とか幸せと思われていたし、それを原動力に馬力の出る時代だったと。たしかに私も受験戦争の最も激しかった時期に中学~高校生活を過ごし、そういう認識が基調低音としてあったのを覚えている。その後もバブル真っ最中で、三高(学歴高、収入高、身長高)がもてはやされていた。

 でも今の若い人たちは違う。「シェアと感謝とリスペクト」で動いていますと。競争原理では動かない。オヤジ達には理解できない感性なので、今の若いもんは思うように頑張らない、何考えてるのだかわからない、となるようだ。
街並み


 これにはストンと落ちるものがあった。常々、第一線のオヤジ達を全員引退させて、若いもんにやらせてみれば、未熟ながらも今よりずっとマシな世の中になるんじゃないかと思っていたのだけど、今のこの崩壊に向かってブレーキのきかなくなった暴走車をストップさせる、あるいは方向転換させるには、これまでと同じ原理であれこれいじっても無駄で、相当な不思議ちゃんの感性が必要なのだろう。

オヤジ達が、そんなんじゃダメだ、無理だ、失敗するぞとイラつく横で、意味不明の魔法によって次の世代は世の中を変えていってくれるかもしれない。最近、そんなことを思い描いています。
夜明け

写真:小林みのり

ありのままコミュニケーション 第3回(最終回) 

ありのままコミュニケーション講師 井上裕香

人にとって、共感はそれなしには生きていけない酸素のようなものかも知れません。共感がない時、人は苦しくて、そこから逃れようとありのままの事実、感情やニーズを見つめる余裕を失い、暴力的な言葉や冷たい態度で接してしまいます。私は、共感と同意を別のものだと考えられれば、共感はもっと簡単になると思っています。

例えば、Aさんと二人でお花見に行ったとします。冷たい風が吹く日でした。あなたは寒さには強いので風は気にならず、美しい満開の桜に感動しています。一緒に行ったAさんは顔をしかめて「寒い~!」といいました。そこであなたはどう言い返しますか?
①共感するし同意する そうだよね、風が冷たいし、寒く感じるかもね。大丈夫?
②共感するが同意しない 風が冷たいから寒く感じるのかな?でも、桜が満開だよ、一緒に花を楽しもうよ。
③共感しないが同意する 桜が満開できれいだよ。せっかく来たんだから楽しもうよ。でも風は昨日より冷たいかもね。
④共感も同意もしない   これくらいで寒いとか言わない。ほら桜が満開できれいだよ。気にしないで花を楽しもうよ。
Aさんは、実は体調が悪かったけど無理して来ていたとして、①~④までを言われたとしたらどうでしょう。①なら安心して体調が悪いことを言えますね。②では体調の悪さを説明し、あなたの気持ちも分かってくれるかもしれません。でも③④では我慢して、早めに切り上げて帰ろう、という気になるかもしれません。③では一応寒いという言葉に同意はしてもらっているけれど、やはり冷たい感じをうけてしまいませんか?③④の返答は、Aさんの言葉が自分の気持ちを否定している、もしくは無視していると、無意識の中で評価/解釈していると考えることもできます。

①②ではまず相手の言葉をありのまま受け止め、その言葉がなぜでてきたのかを想像しています。ありのまま受け止め、そのありのままがどうしてそうなったかを想像することが、共感だと私は思っています。①の返答は相手と親密な関係でないと難しいでしょう。でも、②の返答は、まず自分に共感し、ありのままの感情とニーズ(例えば、喜びを共有することを大切にしたい)に気がつけば、多くの場合で可能だと思うのです。
よくコミュニケーションはキャッチボールといいますが、私たちは、キャッチボールをしているつもりで、いつの間にかドッジボールのようなやりとりをしていることがよくあるのではないでしょうか。そして無意識の判断での、すり替わった感情を相手にぶつけることは、ドッジボールになってしまうのです。
激しい感情が起こっている時にも、自分のありのままを受け止め、どうしてそうなったのか想像できれば、自分がやろうとしているゲームがドッジボールかキャッチボールかを判断することができます。もしそれがドッジボールなら、相手が場外に消えてしまったり、相手から激しい球が返ってくるのはむしろ自然なことでしょう。自分に対してもドッジボールのような球を投げて、凹んでなかなか立ち上がれなくなってしまうこともよくあることかもしれません。 

 コミュニケーションのキャッチボールも、実際のキャッチボールと同じく、練習しないと上達しません。受け取りやすい球や、ミットを用意する必要もあるかもしれません。時々変な方へ飛んで行く球や、変な方向から飛んでくる球を楽しみながらやりとりできるようになるために、自分の使っている道具の種類や、力の入れ方を分かるようにするのが、ありのままコミュニケーションの4ステップの使い方の一つです。

※ありのままコミュニケーションの連載はひとまず終了いたしますが、また不定期で連載を掲載する予定です。どうぞ楽しみに。


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