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父の認知症(その後)②

父の認知症(その後)②
                     ムックマムスタッフ S子

 認知症を発症する前の父は、緑内障の治療をしていましたが、その他は至って元気で、薬を飲むような病気になってはいませんでした。

 しかし、一年ほど前のこと、仕事中に友人から電話があり、街中で血だらけになっている父と介抱している母に遭遇して、一緒にいるとのこと。慌てて現場に行くと、父は、つまずいて転倒し歩道に顔面を打って目と目の間を切っていました。友人にお礼を言って、病院に連れて行き、縫合してもらいました。
 母も携帯電話を持っているのですが、外出するときに持ち歩いておらず、幸いにも友人が見つけてくれて助かりました。もう、診療時間が終わっており、夜間診療時間でしたが、なんとか治療できました。しかし、治療後は絆創膏をはがそうとするし、自分がなぜこんなけがをしたか忘れているので、何度も質問するし、翌日病院に消毒に行くとか、後日の抜糸の際も、父は、我慢と言うことをしないので、痛いからやめろとか、何をするんだと医者に悪態をつきます。
 ただ、あんな傷をしても不思議と痛がらず、家ではおとなしいのが不思議で、痛みを感じなくなったのかと不安に思うほどでした。しかし、嫌なことをされると痛いと言えば良いと思っており、例えば、爪切りや髭剃りなどは嫌なので痛いとか、血が出るからやめろと言うのです。

 こんなこともありました。頻繁にトイレに行くのですが、尿が出ないと。これは大変と受診すると、前立腺の病気で、かなり尿がたまっている状態でした。ほおっておけば尿毒症になって死亡する状態。しかし驚いたのは通常は手術をすれば完治するようですが、認知症だと、手術はできないと言われたのです。認知症患者の入院を受け入れてくれる病院も少ないと言います。本人に治療の理解がなく、手術の意志が確認できないためです。愕然としました。確かに、今の父は麻酔すれば手術はできるでしょうか、麻酔が醒めたあとは、状況が理解できないでしょう。投薬で改善しなければそれ以上何もできないと。金銭管理は成年後見人制度の利用ができますが、認知症患者の医療の方はたとえ家族が頼んでも体にメスは入れられないようです。

 さて、父の場合は投薬で排尿できるようになり、一安心ですが、この後、鼻血が止まらず救急搬送されたり、できものができて通院など、何度か医療にかかるのですが、その度に、医者には、痛い、何をする、やめろ、ひどい時は「叩きつけるぞ」と暴言を吐くのです。もう、病院で治療もできないのかと母と同行した姉をほとほど困らせました。

 また、ストーブの上に直接物を置いて乾かそうとするので、温風式ストーブに変えたり、自転車で出かけて帰って来れなくなったため自転車を取り上げたのですが、その後、徒歩の徘徊で警察にお世話になったりと、この2年もいろいろありました。
私の顔も名前もわからなくなりました。私が会いに行っても帰ったあと、俺には娘がいるのに、ちっとも会いに来ないなと言うそうです。
 徘徊はそもそも遠くまで行けなくなり、心配は減りましたが、自転車がなくなった時は、最初はかなり怒っていました。とにかく、自分の思うようにいかない、やりたいことを止められると怒りだす。1分と覚えていられないので、何度も何度も繰り返し説明をする。一緒にいる母のストレスは想像を絶します。母が健康で父の面倒を見てくれるので感謝です。そろそろ施設入所も検討しなくてはと思っていますが、母はまだ頑張れると。こんな優しい妻を持って幸せだなと父が思っていないのは残念です。

 父は、お隣の庭や、おうちにも勝手に入ってご迷惑をかけたりしています。幸いお隣さんは、父のことを理解してくださっていますが、甘えてばかりもいられません。高齢化社会、介護の現場は本当に大変です。いろいろなパターンの人がおりますが、社会が認知症の理解を深め、周りに認知症の人がいたら地域で温かく見守ることができるようになるといいなと思っています。

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父の認知症(その後)①

父の認知症(その後)①
                     ムックマムスタッフ S子

 2016年8月に父の認知症の話を掲載しました。
 あれから2年経った今の父の状況をご報告させていただきます。

 父の症状はどんどん悪化し、当時週に1回、いやがる父をやっと半日だけ通所させていましたが、迎えの車に乗せるにもひと苦労の上、行ったと思ったら3時間後には帰って来る。と、いう状況で母のストレス解消にはなっていませんでした。

 通所施設で運動して来るので父のためにはなっていると思って通っていましたが、その運動も継続してやれなくなり、さぼるようになってきました。何しろ、自分に運動しようという意志がないし、運動が自分のためだとも理解できないのですから。そのため、1日の通所に変更しました。昼食が出るし、入浴もさせてくれるので母の負担も少しは減るかなと思ったからです。それに父と一緒にスーパーに買い物に行くと、父は「早く帰るぞ」とか、「そんなに買ったらお金がかかる」とか、言うようになり、買い物さえもままならなくなったため、父の通所日に母が用事を済ませるという必要が出てきたのです。

 通所は週に2回としました。相変わらず、「なんでそんなところに行くのか、行かん」と言うようで、母は騙しだまし、「私も後から行くからね」となだめて車に乗せるようです。もちろん帰宅後も何をしてきたか覚えてないし、おいしい昼食を食べてきているのに忘れていて、「もう行かん。迎えに来なくていいと言っておけ」と言うのです。

 父の場合、お金のかかることを極端に嫌がります。戦争時代に育ち、つつましい生活をしてきましたが、使うべきところは使っていましたし、認知症状の軽い時は、必要のない高価なものを購入してきて私たちを驚かせたりしていました。しかし今は、テレビは電気代がかかる。新聞もお金がかかるので必要ない。と、言うようになり、母はテレビを自由に見ることすらできなくなりました。新聞に至っては、新聞配達が来る時間に玄関フードのカギをかけておけば、新聞は届かなくなると言い出し、早朝に起きるようになってしまったのです。中止を申し出るという発想はなく、引き落としになっている口座の残高を無くしておけばいいとか、お門違いのことを言います。結局新聞購読を中止せざるを得なくなりました。

 そんな父ですから、通所に行けばお金がかかると思い、お金かかるから行かないと。介護サービスのお知らせなどは見ると怒りだすので、通所の明細は私の自宅に届くように変更してもらいました。それでも、施設ではたまに入浴を拒否したり、帰宅願望を口にするようですが、施設職員に暴言を吐くようなこともなく、食事は「おいしいおいしい」、入浴後は「たいした良かった」というとのことで、今のところは安心しています。

 今、一番困っているのは、本人の病気やけがのことです。昨年一年で、転倒して顔面の傷を縫うということと、救急車で搬送ということがありました。

次回は認知症患者の医療についてお話します。

娘からのメッセージ

今年で下の子も成人となる子育て終了ママ  はるかぜ


★このお話は、あくまで私の個人的体験、感想です。このやり方や考え方が、全ての人に有効であるとは言えないと思いますが、私にとって印象的な出来事でしたので、ご紹介させてもらいたいと思い、書かせていただきました。



 一人暮らししている娘とは、ほぼ毎日LINEでやり取りしている。

 ほとんどは、一日の終わりに私からメッセージを入れ、それに娘が返信してくる。

 

 ある日、珍しく娘からこんなメッセージが届いた。

「なんか小さいときに(私が)アトピーだったこと思い出して、完全に治ったのって完璧母の力だね。ありがとう。」

 

 そう、娘は小学校5年生くらいまでアトピーだった。かなりひどい時期もあって、毎日たくさん患部から液が出ていて、下着や服が汚れてしまうほどだった時期もあった。身体検査や、友達のいるところでの着替えなど、かなり辛い思いとしただろうと思う。

 私は、対処療法で治療しようとは思っておらず、根本治療をしないと治らないといろんな方法を試した。アレルギー体質で、アトピーの人が持っていることの多い喘息もあり、これも辛かっただろう。

 

 私がやったのは、まずは食事療法、添加物の入っていないものを選んで、乳製品を控えたり、酸性食品をやめたり、いろんな本などを読んでは試した。何が正しいのかわからなかったが、とにかくやってみた。

 ホメオパシーにもお世話になったし、漢方による湿布も試してみた。ワサビ治療というのもやってみた。特別な水を飲んだり、ノニジュースを飲んでいたこともあった。これが効いたというものはなかったけれど、急性的な症状にはホメオパシーで改善された。

 

 でも、娘本人が頑張ってくれたおかげで、今はきれいな肌をしているし、どこにもアトピーの痕はない。喘息も治ったし、今は好きなことを何でもできる体になっている。

 今になって、娘に感謝されようとは思ってもいなかったので、このメッセージはすごくうれしかった。

 

 病院に行かない、痒み止めも飲ませない。ステロイドも塗らない。辛そうな様子を見ている夫には度々、病院に連れて行けと怒鳴られた。だから、病院には何度か行ったが、もらってきた薬は一切使わなかった。娘も、私の気持ちをわかってくれていて、自分から薬を飲むとは言わなかった。

 大きくなって体力がついたのか、免疫力が上がったのか、体質改善されたのか理由はわからないが、中学に上がるころには、完治したと言っていいと思う状態になった。本当に感謝しかない。

 そして、娘は本当に丈夫に育っている。風邪はほとんどひかないし、熱が出てもすぐ下がる。鼻水や咳が出ても2.3日で治ってしまう。病院知らず、薬いらずだ。

 

 実は息子も同じように、喘息を持っていたし、アトピーもあった。息子の方は、薬を飲みたがったので、痒み止めなどは時々服用していた。こっそり、塗り薬も塗っており、幹部はどす黒く変色していた。そして、息子は体の一箇所だけがずっと治らずに成長したが、高校を卒業後に治ったと本人か言って来た。ただ、長年アトピーと戦った来たからか、皮膚は黒ずんで象の肌のようになっているので、これから少しずつきれいな肌になるのではないかと期待している。息子もかなり長い間辛かったと思うし、頑張ったなあと思う。

 

 痒みというのは本当に辛いと分かっていても、子どもたちがぼりぼり掻いて血が出ている様子を見て「掻くんじゃない!」と声を荒げてしまったこともある。ごめんね、辛かったのはあなた達なのにね。

 その罰が当たったのか、この歳になってから、手足が痒くて、いてもたってもいられなくなることがある。そして、喘息のような症状も。寒い時に走ったり、ほこりっぽい所に入ると、ゼイゼイするようになってしまった。

 私も頑張らないといけないなと思う。

 

 さて、娘へは、「頑張ったのはあなただよ。お母さんこそ感謝してる。辛い思いしても頑張ってくれてありがとう」と返信した。

 

 あきらめなくてよかったなと今しみじみ思う。そして、今思うのは、もし、娘や息子に子どもができたら、その子たちにも私がしてきたように育ててくれたらうれしいなと思っている。


旅行記 台湾母娘の旅③

 おじさんが下りてしまい、少しするとあるバス停に止まり、何気に周りの景色を見ると、あれ?この看板、野柳でバスを待っていたときに見た看板と同じだ!しかもバス停もまさにそこ。1時間以上乗ってたけど、同じバス停に戻ってる。どういうこと?パ二くる私。娘もちょうど起きていて、あの看板見たよね?見たけど、まさか戻ってないよと娘。同じ看板に同じような風景なだけ?でも、心配になって、そのバス停から乗車してきて、おじさんの座っていた席に座った女性に英語で話かけると、私は日本人です。という答え。で、彼女にバスの行き先を尋ねると「淡水」行で間違いないという。ほっとするもわけがわからない。必死に頭と地図を見ながら考えると、どうやらこういうことらしい。

 台北と、野柳と、淡水は三角形のような位置関係。しかし、途中は山があって道がなく、私は勝手に野柳から淡水にはいったん台北方向に戻って途中分岐すると思っていた。しかし、実際は台北方向に戻らずに海沿いを走るのが淡水行きだったようだ。ぐるっと一周するので、野柳で下車した場所から乗るのが正解だったのに、淡水から来た反対側のバスに乗ってしまったので、終点まで行って折返してきたようだ。この一時間が全く無駄になったというわけ。行き先は淡水となっていたのではなく、バス会社の名前に「淡水」と入っていてそれが電光掲示板に出てたらしい。バスに乗るときは、行き先を運転手に確認するのが鉄則だといつも思っていたのに、悔やまれる。娘はあと一時間30分バスに乗れば着くんでしょと平気な顔をしてる。

 しかし、これからまた事件が起きるのでした。

 しばらくして運転手がマイクで大声でまくし立て始める。乗客は知らん顔。私も知らん顔。だってわかんないもん。ところが、先ほどの女性が私に、カードを通していない女性二人組がいると言っているよと、教えてくれる。彼女は中国語ができるらしい。バスの中を見渡すと女性二人組は私たちだけ。でもバスカードは二人とも通している。ただし、反対方向に向かっていた時に。焦る私。でも、運転手もそのうち何も言わなくなった。お金を追加で取られるならそれでもいいよ。淡水で降ろしてくれれば。でも、隣の彼女は、席を立って運転手に話しに行ってくれようとした。しかし、運転は荒っぽい。かなり揺れるので、降りるときに私たちの事情を運転手さんに話してあげるからねと言ってくれたので、かなり心強かった。

 時間を無駄にしたことが悔しいし、下車時も心配だったが、外の景色はきれいに晴れ渡った海。まあ、何とかなるさ。
 そして、ようやく淡水の街へ、想像よりもずっと都会であった。いよいよバスを降りる。ドキドキしながらカードをかざす。すると残金も足りていて無事にバスを降りることができた。くだんの女性にはお礼を言って別れる。でも、考えてみれば、中国語が分かる日本人の彼女がいなければ、私は、運転手の言ってることを理解していないので、一時間以上心配することもなかったのではないかな。まあ、いいか。

 この街でしようと思っていたことは、滞在時間が少なくなってしまったため、予定変更で、遅い昼食と、娘のスニーカーを選んだ。ちょうどこの日、長年履いていたスニーカーに穴が空いたのだった。台湾では日本の半額くらいで購入できてラッキーだった。
 
 そして、淡水を離れ台北に戻る。ここからMRTで40分くらいの台北101へ。95階からの眺めを見てから、86階のレストランでディナーである。台北101は休日だし、かなりの列。それでも、ここにはやっぱり来て正解だった。お天気はいまいちだけど、台北の街に夕日が沈む時間と重なり、素敵な眺めであった。そうそう、床が透けて見える場所、確かに下の階や上の人が見えたけど。同僚メモのお陰でスカート持っていかなかったけど、スカートで全然問題なしだったねと娘と話していた。

 その後の夕食は量が多すぎて食べられない。奮発して、窓際を予約したけど夜景も北海道の函館の夜景のほうがきれいかなという感じ。まあ、雰囲気だけは、ゴージャスだった。
 そうして、台湾の3日目も過ぎて行った。ハプニングあったけど、なかなか楽しい旅でした。台湾は、沖縄の共通点が多い気がします。沖縄も大好きなところなので、私は台湾にも住めるかも。
最終日は、6時20分にはホテルを出発。そのまま空港へ。あっという間の3日間。今度はもう少し涼しい時期に行ってみたいな。


<おまけ> 
台湾お土産事情など。
 台湾は結構、お菓子がおいしいです。買って来たお菓子はみんなおいしかった。でも、なぜか、ハンカチやタオルといった類いの物がどの店にもなかった。こんなに暑い国なのに、ハンカチ持たないのかな。空港で、お土産に悩んだ時、無難なのは男女ともにハンカチなのにね。物価はそんなに安くない。まあ、地元の人がいくスーパーなどに行けなかったので、観光客の相場かもしれないけれど。それにしても、コンビニの飲み物と交通料金は格安。MRTに40分乗っても170円くらい。バスに一時間30分乗っても330円。しかも、カードで2割引。私たちはタクシーには一度も乗らなかったけど、黄色いタクシーが走っていて、メーターで料金を払うので、4人とかの移動だとタクシーがお得だと思う。

 同僚メモで必要のない情報は、ポケットティシュを大量にと、滑らない靴。雨が多い地方なので、日傘と雨傘兼用の折り畳み傘は必要。それより汗拭きにタオルハンカチは必須。外をたくさん歩いたときは、汗で髪を洗ったみたいになった。

 娘との旅はあと何回行けるかわからないけれど、帰国後に娘から台湾で買ったカードでメッセージが。「旅行楽しかったね。ありがとう。しっかり稼げるようになったら、私がお母さんを旅行に連れてってあげます。ただし、観光ルート決めはお母さんお願いします。」と、いう内容。バスに乗り間違ったけど、やっぱり私に計画を立てさせるんだね。
娘に旅行に連れてってもらえる日を楽しみにしていようと思う。


*小野寺さゆり*
今年の春には娘と息子も、社会人になり子育て終了。早く孫の顔が見たい北海道に住むムックマムスタッフ53歳。


旅行記 台湾母娘の旅②

出発当日
 パスポートを持って、メールにあったカウンターを探すも、見当たらない。
 空港職員に聞くもみんな知らない。どういうこと?でもよ~く見ていると、時間によってカウンターの航空会社が変わるらしいことが分かった。なんだ、早く来すぎたのね。とりあえず、腹ごしらえをして、時間を待つ。連休前とあってかなりの人でごった返していた。

 飛行機に乗り込んで、同僚のメモ通り寒くて困らないように、上着持参のうえ、すぐにCAに毛布を頼む。上着を着て毛布を掛けてちょうど良い。うんうんメモは本当だった。

 少し遅れたものの、順調に飛行し台湾に到着。予想通り、暑い暑い。空港も超混んでいたけど、両替もできた。ホテルに荷物を置くと早速MRTの駅に良き。例のカードに料金を調べた後、お金をチャージし、コンビニのマンゴーを買いに行く。でも、売ってない。もう22時だからかな。仕方がないので、違うフルーツを買ってホテルに戻ることに。もちろん、持参した買い物袋をさっそうと差し出す。日本語は通じなさそうだったが、おかげでスムーズに買い物ができた。
 明日は早起きして市内観光するぞ!

2日目
 いつも寝坊の娘をたたき起こし、MRTを使って市内観光。兵隊さんの交代は、本当に素晴らしかった。そして、小籠包とマンゴーを食べた。きれいで冷房の効いているレストランを探したから、小籠包以外もメニューにあった。注文も普通にできた。
 そして、午後からは九份ツアー。集合場所がなかなかわかりづらく、炎天下をかなり歩き、なんとか見つけて汗だくで出発場所へ。本当に建物の中は寒い。娘は普段からクーラーが苦手で、車のエアコンも苦手なので、秋物のジャケットを常に着ていた。同僚メモのお陰。しかし、買い物袋を山のように持っていったが、コンビニに入った3回以外は、必要なかった。どこも袋に入れてくれたから。

 九份は景色も良いが、買い物も楽しい。ただ、下水の臭いがした。 まあ、私は耐えられるレベル。夕暮れ時は、ものすごい人がやってきて、満員電車の中のような状態で、まったく進まない。しかも狭く急な階段を下りる、将棋倒しになったら間違いなく窒息死だな。集合時間に間に合うのか!遅れたら待っててくれるのか。と、心配したが、ちゃんと5分前に着いて、ゆっくり冷たいタピオカジュースを飲むことができた。しかし、冷たすぎる。こんなに飲めない。

 同じツアーの一つのグループが時間まで来ていない。どうやらおいて帰るらしい。ここは迷路のようで、迷子になる人がいると聞いた。良かった。間に合って。
 そのあと、夜市を散策した。やはり臭いは気にならない。ドリアンも、臭豆腐も大丈夫。台湾バナナを探すも、バナナスムージーはあってもバナナは売っていない。その後、たくさん歩いたから足マッサージをして2日目は終了。

3日目
 今日は、郊外の街にバスで行く。日本で調べたとおりに1815番の金山行きに乗る。乗ったのは始発だったからいいけど、途中下車なので、間違えないように眠かったけど起きていた。バス停をいちいち確認して1時間10分くらいを過ごす。順調に目的地に到着。クイーンズヘッドのある、野柳の地質公園は、素晴らしい所だった。しかし、ここも暑い中かなり歩いたので、マンゴースムージーを飲むことに。おいしい!だけど、冷たい。冷たすぎるし、量が多い。二人で一つで良かったな。でも、捨てるところもなく、無理やり飲む。これがいけなかった。おなかが痛い。トイレに行きたくなる。コンビニがあったので入って、ついでにバス料金をチャージ。だけど、トイレがない。仕方がないので、我慢して歩いていると、道端に公衆トイレ発見。地獄に仏とはこのことか。何とかセーフだった。冷たいものは要注意。と、同僚メモにはなかったぞ。
 臭豆腐の屋台があり、覗き込んだが、やっぱりそんなに臭くない。食べなかったけど。

 さて、次の目的地は、朝乗って来たバスではなく、862番のバスで今度は終点の淡水まで行くから、居眠りしても大丈夫。862番のバスが来た。行き先を確認すると、電光掲示板には「淡水」という文字が見える。大丈夫だ。運転手に確認するまでもないと自信をもって乗りこむ。今度は1時間30分ほど乗る予定。地元の人が利用するようなバスで、席が後ろしか空いてない。途中のバス停を確認しながら行きたかったけど、仕方がない。娘は隣で爆睡。私もうつらうつらしながら1時間ほど経った。もうだいぶ来たかな。と、思ったら、突然、運転手が運転席を降りて、乗客一人一人に中国語で質問し始めた。???何?ついに私にも聞く運転手。とにかく行き先を、中国語っぽい発音で言ってみる。運転手は満足したように、うなずいて運転席に戻ってバスを走らせる。なんとなく、不吉な予感。バスを間違っているのか?

 ??なんだ?って思っていると、通路を挟んで隣に座っていたおじさんが、さっきの私の発音が上手すぎたからか、中国語で話しかけてくる。え~、まったくわかんないですけど・・。こっちは英語で話すも。通じていない様子。でも、にこにこしながら話は止まらない。香港というフレーズが聞き取れたので、香港からではない、日本人だと英語で話すと、そうかそうかという感じ。さっきの運転手の行動は?と聞きたかったが、無理。私は淡水に行きたいんだと彼に地図を見せてみると、このバスで大丈夫という。とりあえず安心していると、そのおじさんもそのうち下車していった。

 そしてこのあと、私は、驚愕の風景を見ることになる。

   (つづく)


*小野寺さゆり*
今年の春には娘と息子も、社会人になり子育て終了。早く孫の顔が見たい北海道に住むムックマムスタッフ53歳。


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