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我、達成感と挫折から学ぶ(第3回)

我、達成感と挫折から学ぶ(第3回)


香川武毅(かがわたけき):パチンコ店勤務(ホールスタッフ)
昭和48年生まれ(46歳)香川県高松市在住。愛媛大学農学部中退。中学3年生の夏前まで玉藻水泳会(水谷浩明コーチ主宰)に所属。1984年1月開催の新年フェスティバル四国ブロック10歳以下の部にて優秀選手賞獲得。200㍍自由形は全国ランキング13位(後に同種目の日本記録保持者となる前田泰平選手よりこの時点では自分の方が速かったことは今でも自慢の種ですが、前田選手は当時私より約2歳年下でした)





 アルバイト生活を送るうちに、自分は社会で生き抜くために必要なものを何一つ持っていないのではないか? と感じるようになりました。世間で言われる生産性の低い人間というやつです。
 
子供の頃の競泳競技の体験から、お金では心は満たされないということだけは実感としてありました。一方で達成感のあとの挫折は自分の中では対のようなところがあり、ひたすら心の喜びを追求することに恐れもありました。
 
当時の自分がたどり着いた結論は、時給の高いアルバイトをやってみようという考えでした。パチンコ店のアルバイトは高時給でしたので、パチンコを打ったこともないのに思い切って働いてみることにしました。当時21歳でしたが、パチンコ店はいきなり怒鳴るような怖い人がたくさんいるイメージしかなく、怖くて入ったこともありませんでした。水泳を始めたきっかけと近い感覚もあったのかも知れません、苦手の克服がテーマです。
 
パチンコ店の最初のアルバイトは1年もたずにお客さんのなかに怖い人がいて辞めてしまいました。高校生の頃、私の子供の頃を知っている方に、水泳はもうやらないのか? と声を掛けられることがありました。大学は先生の頭の良さについて行けずに早々に逃げ出していました。

やがて、水泳も大学の研究職も、継続していればどうなっていたのだろうか? と考えるようになり、このまま逃げてばかりもいられないという気持ちで、28歳のときにパチンコ店である今の会社に入ることにしました。31歳で正社員となり、今年で16年目です。
 
出世して店長になってという大半の男性スタッフの目指す目標と違う目標を持っていたので、周りとはかみ合わず、叩かれることの連続でやってきて、正社員の中では一番格下の一般社員のままですが、現在、私は社内ではホール業務に必要なすべてを、新入パートスタッフに指導できる唯一の存在だという自負を持ち、毎日過ごしています。

今では、あんなに苦しかった「『達成感と挫折』を日々繰り返すこと」が当たり前で楽しいという感覚にたどり着きました。
            ~ 完 ~     
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我、達成感と挫折から学ぶ(第2回)

我、達成感と挫折から学ぶ(第2回)


香川武毅(かがわたけき):パチンコ店勤務(ホールスタッフ)
昭和48年生まれ(46歳)香川県高松市在住。愛媛大学農学部中退。中学3年生の夏前まで玉藻水泳会(水谷浩明コーチ主宰)に所属。1984年1月開催の新年フェスティバル四国ブロック10歳以下の部にて優秀選手賞獲得。200㍍自由形は全国ランキング13位(後に同種目の日本記録保持者となる前田泰平選手よりこの時点では自分の方が速かったことは今でも自慢の種ですが、前田選手は当時私より約2歳年下でした)




 小学校4年生のときに四国で決勝に残れるレベルとなり、小学校5年生の正月に行われた大会では、四国で優勝することもできました。
 クラブの落ちこぼれから努力の末に得た結果でしたが、子供だったので慢心が生まれました。謙虚さも失い、練習で手を抜くようになりました。

元々才能があったわけではなく、豊富な練習量でつかんだ結果だったので、練習で手を抜けば結果など得られるはずもないのですが、過程を忘れ、理由も忘れてしまいました。
練習などしなくても自分はそうなるべき存在だったと、過去の栄光が繰り返されるような錯覚に陥っていたのです。
 
スポーツの世界なので、錯覚したところで結果はすぐ出て、自分の勘違いを思い知らされることになりました。
 四国チャンピオンだった私は中学生の大会では四国大会への出場権すら得られずに、中学校3年生の夏前に強い挫折感だけを抱き、引退しました。
 
高校生になっても挫折感を引きずりながら、周りと打ち解けることもなく過ごしていました。高校生の頃は大学に進学してしっかり学べば何かつかめるに違いないと、現状の自分と向き合うよりも偏差値基準でそれなりの大学に進学することだけを考えていました。

1年浪人した後に自分の学力では良く頑張ったという感じの愛媛大学農学部に入学しました。大学に進学したからにはしっかり勉強して、大学院にも進学して研究職に就くことを夢見ていましたが、東京大学や京都大学卒業のエリートと呼ばれる先生方の講義を受けるうちに、自分はあんな風にはなれそうにもないと早々に諦める気持ちができました。

大学そのものに見切りを付けて社会人としていきなり走り出す勇気がなかったので、アルバイトで自分が世の中で通用するようなことはないだろうか? と考えながら過ごすようになりました。大学は籍だけ置いているような状態で留年を繰り返し、8年間在籍しました。                               
~つづく~


我、達成感と挫折から学ぶ(第1回)

我、達成感と挫折から学ぶ(第1回)


香川武毅(かがわたけき):パチンコ店勤務(ホールスタッフ)
昭和48年生まれ(46歳)香川県高松市在住。愛媛大学農学部中退。中学3年まで玉藻水泳会(水谷浩明コーチ主宰)に所属。1984年1月開催の新年フェスティバル四国ブロック10歳以下の部にて優秀選手賞獲得。200㍍自由形は全国ランキング13位(後に同種目の日本記録保持者となる前田泰平選手よりこの時点では自分の方が速かったことは今でも自慢の種ですが、前田選手は当時私より約2歳年下でした)





 子供の頃の私は、引っ込み思案で人見知りがはげしく、あがり症でした。家族や慣れた人の前では、図々しいことを言ったりやったりするのですが、慣れない人がいると借りてきた猫のようになるところがありました。
 
こういう性格を矯正するために水泳を習い始めました。小学校1年生で入ったスイミングクラブでは、周りより劣っているという気持ちからなじめないところがあり、いやいや通い、行きたくないと抵抗することも多く、1年足らずで辞めることになりました。
 
その後、小学校2年生になり、指導者だけがいるプールを持たないチームに所属することになりました。今は指導者の方が亡くなったためにチームもなくなりましたが、玉藻水泳会というチームでした。最初に所属していたスイミングクラブでのアドバンテージがあったおかげで、周りと比較して自分が落ちこぼれているということがないと自信が持てたので、週1回練習の育成コースでは楽しく過ごしていました。
 
一緒に通っていた2つ年上の姉が大会出場を目指す競技者指向の選手コースに移ることになり、同じタイミングで選手コースに移りました。選手コースというレベルではありませんでしたが、週6日練習の選手コースの方たちに混じって週3回練習するようになりました。自分と年齢が近い方は2,3名で、あとは年上の方ばかりに混じっての練習で、長い距離を泳ぐようなトレーニングでは何度も追い抜かれて邪魔になっているのは明らかでしたが、周りが自分より年上だったので、ここでも落ちこぼれという意識を持つことなく続いたように思います。

 自分より高いレベルの年上の方に混じって練習していたので、小学校4年生になると、四国の大会で決勝に残れるレベルになっていました。

 また、厳しい練習をこなすうちに引っ込み思案の性格は治っていき、学校生活では誰とでも自然と打ち解けられるように変わりました。
  ~つづく~


本屋という「コミュニケーション・デザイン」 第3回

★プロフィール
ニシダタクジ(本名:西田卓司):余白おじさん/現代美術家(リレーショナル・アー ト)/NPO法人ツルハシブックス代表理事/暗やみ本屋ハックツ発起人/かえるライブラ リー発起人
1974年千葉県出身。新潟大学農学部在学中に「畑は人と人とをつなぐ」と直感し、1999年「まきどき村」を設立。その後、出版社の地方書店営業などを経て、2011年新潟市に「ジブン発掘本屋ツルハシブックス」を開店、店内に設置した「地下古本コーナー HAKKUTSU」などで地域の大人と中高生との接点をつくる。2015年より茨城大学でコーディネーターとして勤務しながら東京・練馬で「暗やみ本屋ハックツ」を開始。2018年よりフリーとなり、参加型本屋「かえるライブラリー」をスタート。福岡県福津市津屋崎 「なまことかえるライブラリー」をはじめ、各地で本をツールとした場づくりやコミュニケーション・デザインを行っている。

第3回 「創造的脱力」としての本屋

昨年秋、「創造的脱力(若新雄純 光文社新書)」を読みました。
福井県鯖江市役所内にある女子高校生だけの「JK課」やニートだけを集めた「NEET株式 会社」などの攻めた企画で知られる著者のコンセプトが「創造的脱力」です。
「創造的破壊」は、反発を生むので、「創造的脱力」から入る。正面からぶつからない。「うまくいったらいいな」くらいで始めてみることが大切だということでした。
創造的脱力
ああ。
私が失敗した理由はここにあったのか、と気づきました。
2015年1月から2018年3月まで、私は関東にある地方国立大学の社会連携センターでコーディネーターという職についていました。
ツルハシブックスをやっていたときに、「やりたいことがわからない」とか「自分に自信がない」とか言う新潟大学の学生が多かったことと、「うちのまち なじみのお店 ものがたり」(2014 内野)などの商店街や粟島などの離島、岩室温泉などの街中を離れた地域で行ったプログラムなどを通して、地域でのプログラムが学生のキャリア形成だけでなく、精神的にも効果が高いと考え、それを大学本体がやればいいと思ったからです。
大学がそのようなことに取り組めば、「地域プロジェクトに取り組む」という文化が、高校、中学へと波及していくのではないか、と考えました。
しかし、私の試みは失敗しました。教育的意義があるものとして、地域活動を位置づけ、そこに取り組んでいくためには、たくさんのハードルを越えなければなりませんでした。
そしてそこには、踊る大捜査線のように「正しいことをしたかったら、偉くなれ」の世界が広がっていました。
「創造的脱力」を読んで、「ああ、だから私は失敗したのだ」と思いました。読書の醍醐味のひとつは、自らの失敗の理由がわかる、ということだと私は思います。
私は失敗しました。
「一気に変えたい」と思ってしまったこと。
コミュニケーション・ツールとして、大学を選んでしまったこと。
創造的破壊を志向してしまったこと。
本屋をはじめ、「偶然」の出会いをつくり、ゆるいコミュニケーションをとってきた自分の手法は、「創造的脱力」を志向してきたはずです。

〜ここから「創造的脱力」から引用
「こういうのもあっていいんじゃないですか?」とか、「まずは実験してみよう」といって、本流ではないところで、周辺からアクションしてみる。既存のシステムや勢力を直接には攻撃してしまわない離れたところから、でも、ちゃんと見えるところから、それをやりたいという当事者たちが集まって、真面目に考え、小さくてもいいから、何かが変化するような振り切った実験を、真剣にやってみるのです。
失敗したならやり直せばいいし、もしうまくいったらなら、どんどん増やしたりひろげたりすればいい。すると、そこに人や情報がどんどん流れてきて、いつかは本流にすり替わったりするかもしれません。もちろん、新しい支流や一つの文化になるだけでもいい。
これが僕の考える、「創造的破壊」ならぬ「創造的脱力」です。
〜ここまで「創造的脱力」より引用

本流ではない、周辺でアクションしてみる。まずは実験してみよう、とやってみる。ツルハシブックスとは、そういうアプローチだったはずです。
退職してからフリーとなり、誰もが本屋になれる仕組み「かえるライブラリー」を考案し、福岡県福津市津屋崎などで活動を開始しています。家賃ゼロ、従業員ゼロという脱力系の本屋です。

私はこの5月より、新潟県内のとある高校を中心としたプロジェクトに参画します。高校生の学びと地域資源をどのようにデザインしていくか、そんなプロジェクトです。
肩に力を入れず、脱力して、仲間を募りながら、小さな実験を繰り返していきたいと思います。
全3回にわたり、ありがとうございました。

本屋という「コミュニケーション・デザイン」 第2回

★プロフィール
ニシダタクジ(本名:西田卓司):余白おじさん/現代美術家(リレーショナル・アー ト)/NPO法人ツルハシブックス代表理事/暗やみ本屋ハックツ発起人/かえるライブラ リー発起人
1974年千葉県出身。新潟大学農学部在学中に「畑は人と人とをつなぐ」と直感し、1999年「まきどき村」を設立。その後、出版社の地方書店営業などを経て、2011年新潟市に「ジブン発掘本屋ツルハシブックス」を開店、店内に設置した「地下古本コーナー HAKKUTSU」などで地域の大人と中高生との接点をつくる。2015年より茨城大学でコーディネーターとして勤務しながら東京・練馬で「暗やみ本屋ハックツ」を開始。2018年よりフリーとなり、参加型本屋「かえるライブラリー」をスタート。福岡県福津市津屋崎 「なまことかえるライブラリー」をはじめ、各地で本をツールとした場づくりやコミュニケーション・デザインを行っている。


第2回 向き合わないという向き合い方

「本の処方箋」というコンテンツがあります。
「かかりつけ医の名前(お気に入りの書店)」「今、悩んでいること」など、問診票を書いてもらい、話を聞きながら、思いついた本を3冊程度選び、気に入ったものがあれば購入してもらう、というものです。毎年7月に長野県大町市の木崎湖キャンプ場で行われている「アルプスブックキャンプ」での人気企画です。
この企画をはじめて、驚いたことがあります。みんな、本当の悩みを話すのです。
特に20代後半〜30代の女性の悩みは複雑です。 仕事のこと、彼氏のこと、結婚のこと、出産のこと、実家の両親のこと、地元に帰るかどうか・・・などなど、多岐にわたります。
そんな複雑なことを、よく初対面の本屋のおじさんに話せるものだなあと思いました。
本の処方箋
あるとき、新潟・ツルハシブックスで行っていた「本の処方箋」イベントで、たまたま来店したリクルートスーツの女性に声をかけました。
「いま、本の処方箋やっているので、もしよかったら」
就職活動中だという彼女は、問診票を書いて、就職活動の話などを話し始めました。
そんな内容を忘れてしまうほどの、衝撃の一言を彼女は口にするのです。
「私はおねえちゃんと違って、お母さんに愛されていないような気がするんです」
えっ。
それ、深刻なやつですね。
それを僕に言っても、ですね。
まさかアドラーの「嫌われる勇気」(岸見一郎 ダイヤモンド社)をおススメするわけにもいかないし。
とにかくその場は、本をおススメすることなく、彼女は帰っていきました。
すごい、と思いました。
「本の処方箋」というコミュニケーション・ツールがすごい、と。
初めて会った人にそんなにも心を開かせるなんて、すごいことだ、と思いました。
「西田さんはそうやって人と向き合っているんですね」と、「本の処方箋」を説明しているとき、友人に言われました。
ああ。それだ。
向き合ってないんだ。
僕は向き合ってないのだ、と思いました。
お客さんの隣に並んで、話を聞いている。いや、話を聞いているフリをして、半分は本棚を見ながら「いい本ないかなあ」と考えている。そして何より、本を紹介されるだけで、悩みなんて解決するはずがない。
その心の余裕が「本の処方箋」が心を開かせる理由なのではないでしょうか。
向き合うことが大切だと多くの人が言います
しかし、「真剣に話を聞くよ」と言われると、話せなくなる悩みがあると私は思います。
初対面の本屋のおじさんだからこそ、解決しないからこそ、話せる悩みがあります。
「悩みを誰かに話した」その瞬間は貴重です。誰かに話せるだけで少しだけ心が軽くなります。
「本の処方箋」はそんなコミュニケーション・デザインです。
第3回へ続く
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