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ムックマムフェスティバル

平成26年6月8日新潟市内において
ムックマムフェスティバルが行われました。
その時の様子をお伝えします!


赤ひげ塾さんとリラックスカイロYu.&香り舎 Aura さん
赤ひげ塾さんとYu.&香り舎 Auraさん

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私が紙おむつをやめたワケ

ムックマム 創刊号より 1998年 8月号

 私が布おむつを使っているというと口をそろえて「すごいね」といわれます。
かつての私もそう思っていました。自慢じゃありませんが、私はどちらかというと、なまけもののママに分類されると思います。そんな私でもやれるということを少しでも多くの人に知ってもらえたらと思い書いてみました。
 私は子どもが生まれる前から紙おむつにしようと何の疑問もなく思っていました。実際息子が1歳になるまでは、紙おむつを使っていました。ただ日々おむつを変えるたび、薬品のにおいがする事と、ダイオキシンの発生のもとという2点が心のどこかにひっかかっていました。
 そんなある日、義姉と話していた時、使っていない布おむつがあると聞きました。今まで布おむつに踏み切れなかったのは、面倒なのもありましたが、購入しなくてはというのもネックでした。どうせただだし使ってみようか・・・最初はそんな軽い気持ちでした。
 緊張したのは夜寝るときでした。しかし、今まで一度も漏れた事はありません。一番心配していたのは、やはり洗濯です。これも慣れてしまった今ではあまり苦痛になりません。お風呂の残りで簡単に洗い、後は洗濯機まかせです。布おむつだって洗剤・水道代かかるし紙おむつと金額的には一緒と思っていましたが、実際やってみると断然布おむつの方が安いです。
 紙おむつは確かにモレないし、汚れたら捨てられて簡単です。でも、自分の事に置き換えて考えてみてください。女性は毎月生理がありナプキンを使います。私はかぶれたりして不愉快な思いをする事が多く、終わるとホッとします。子どもたちは、おむつがとれるまでの何年間、毎日その不愉快なものをつけるのです。そう思ったとき自然にやめようと思いました。余談ですが、私も今は布ナプキンを使いはじめました。すごく快適です。肌がさらっとし、かぶれる事もありません。今までなんだったんだろうと思います。
 今の世の中便利になったのか不便になったのかよくわかりません。物は溢れていますが、本当に必要な物なのか今見つめ直すときが来たのかもしれません

冊子形式からネットで多くの方とオープンに交流する形へ

1998年夏、冊子版『ムックマム』は創刊されました。
それから16年。時代は移り、ネット展開に切り替えます。

思いは変わりません。
自然に沿った生活は個人の幸せはもちろん、地球のいのちを継続可能なものにしてくれます。
この心地よさ、楽しさ、やさしさをもっと知ってもらいたい。
社会が抱える問題の大きさからすると、ささやかで非力だけれど、私達の暮らしと思いこそ社会を変える第一歩。そう、足下からの改革です!

冊子『ムックマム』は、自然派生活の情報を持った人に発信してもらい、興味持って下さる方に届けて参りました。
ネットではさらに、テーマを巡って多くの方と意見交換など楽しみたいと思っています。

どうぞお気軽にコメント、質問など入れて下さいませ。
楽しみにお待ちしていま~す。

寄り道小道 20 2008 秋

 林間学校から帰ってきた中2の娘が、やや不機嫌そうに話し始めた。「今日、野外炊飯があったんだけどね、ちょっといらついちゃった。」「どうして?」「だって、みんな人参の皮をむくんだよ。」私は笑った。「どうしてむくのって聞いたらさ、汚いって言うんだよ!」重ね煮の料理教室の時、講師の船越康弘氏が「汚いって理由で捨てられるんだったら、この世に捨てられる人はいっぱいいるでしょう!」と冗談まじりに言っていたのを思い出した。「それにさ、みんな野菜の繊維にそって切らないんだよ。切り方もスパっとしてないし、横にスライスしている人もいるし・・・。」
 「大人だってそんなもんだよ!」と笑いながら、娘のことがちょっと頼もしく思えた。この娘、とりたて料理が得意なわけでも何でもない。ただ、一歳の頃から包丁を持たせ、手伝いだか邪魔だかわからない作業を一緒にする中で、いつのまにか私流の「食」に対する価値観や技術を身につけたようだ。
 生活ってこうやって伝達されるんだな。私がもし皮をむく大人だったら、娘もむいていただろう。私が残飯をざばっと捨てる人間だったら、娘もそれを当り前と考えただろう。そう思うと、理屈で子どもに何かを伝える以前に、自分のしていることや考え方をよくよく顧みなくてはと考えさせられる。子は親の鏡とはよく言ったものだ。

寄り道小道 14 2007 春

 トラウマという言葉がすっかり定着した。主に子ども時代に親から受けた対応のマズさが、大人になっても歪んだ心理傾向や行動パターンとして残ってしまうことを言う。確かに環境が人間を作るとすれば、特に三つ子の魂に刻まれたものを、その後の人生で転覆させるのはいかに大変か。
 が、子ども時代よりもっと根が深いのは胎児期のトラウマだともいわれる。なるほどと思っていると、今度は、過去世から引きずっているトラウマは更に今の自分に大きく影響しているとか。
 どれも全くその通りなんだろう。が、こうなってくるとキリがない。
 私の知り合いで、若くして離婚し、その後、女手ひとつで子ども二人を育て上げて今は社長ともなっている人がいるが、その人が友人に誘われて自己開発セミナーに参加した時、大の大人が過去のトラウマを見つめて大泣きしているのを見て、心底びっくりしたと話していた。自分は昔のことなんか考えている余裕もなかった、ただただ前へ進むしかなかった、正直言って「ヒマなんだな」と思ったと。
 トラウマ解決が意味ないと言いたいわけではない。ただトラウマという言葉に甘えて、今、この時を精一杯生きるということから逃げている人が多いのが気になるのだ。目の前にある現実の生活、人間関係、仕事の中で無我夢中に生きて学ぶことのどれだけ多いことか。完璧な環境も育ちもどこにもない。誰もが少しずつ歪んだ自分のまま生き、そして光を求めている。トラウマトラウマと言って時間を費やすより、今、ここにある喜びに気づいた方が、トラウマ解決のためにもずっと早道に思えるのは私だけだろうか。

寄り道小道 4 2004年 秋

 子どもの食生活に付いて聞かれる機会が結構ある。うちの小学4年生と1年生の娘たちは、毎食2〜5杯ご飯を食べるということを話すと、たいていの場合、いたく驚かれるか、信じていない顔をされることが多い。そして、「痩せの大食い」と判を押されてしまうのだが、この夏、ご縁あって預かった小学3年生の女の子との変容ぶりを見て、やはり、子どもだってこのくらい食べるのが本来じゃないかという思いを強くした。
 というのは、うちにきた当初、彼女はお茶碗に軽く1杯がせいぜいで、おにぎりにしても1個しか食べなかった。それが10日もたったときには、おかわり、おかわり・・・で、うちの子と同じくらいの量を食べるようになっていたのだ。
 理由はいくつか考えられる。まず、おかずが軽い。油がほとんど使われておらず、量も少ない。動物性のものはほとんどない。そして、ご飯が進む味付け。それから、おやつは1日に1回と厳格に決められていて、そのとき以外は、お菓子はむろんジュースも牛乳も飲まない。飴玉1個でも許さない。おかげで、おやつはいつでも食べられるものと思っていた彼女も、やがて朝起きて一番に「今日のおやつは何?」と目を輝かせて訊ねるようになった。そのくらい”食べる”ことに対して意欲的になったのだ。
 そして、食事の少し前になると、「お腹すいた〜」と言って、せっせとお手伝いをし、食べるときには、ガツガツと気持ちよく食べる。子どもには三分の飢えを、というのは本当のようだ。いつもいつも空腹でも満腹でもない胃袋にしてしまう今どきの食生活、どう考えても子どものためになっていないと思う。

寄り道小道 2 2004年 春

 自分を変えていきたい、もっとこうありたいという気持ちを持っている人はたくさんいると思う。でもそこに、「かくあるべき自分」というイメージが描かれているとしたら、それはちょっとどうだろう。それは現在の自分を否定的に見ているということだし、お決まりのパターンに自分を合わせようとしているだけかもしれない。
 「いいお母さんになりたい」「ステキな女性になりたい」そんな前向きに思える願望でさえ、ありのままの自分に辿り着くには障害になってしまう。それにそういう道は、自分を高める手段としては必ず失敗に終わると思う。
 今ある自分が何を感じ、何を考えているかを徹底的に分析してみること。自分がどういう人間であるかを知ることからしか、自分を活かし、周りを幸福にしていくことはできないのだから、いい人になろうとすること、いいお母さんになろうとすること、そんなものは窓の外に捨てて、あるがままの自分と共に生きる道を歩んで行った方がいいと思う。
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