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日本史ものがたり「シーボルトの娘イネ」

日本史ものがたり  シーボルトの娘イネ
                        
秋の夜長に日本史ものがたりをひも解いていきたいと思います。ご一緒ください。

江戸時代、日本は「鎖国」していた、とされています。
実際には、長崎出島でオランダと、そして平戸では中国、朝鮮との交易がありました。いわば制限貿易をしていたのですね。

ドイツ人医師シーボルトが出島のオランダ商館付き医師として初めて来日したのは、文政6年(1823)でした。その年のうちにオランダ商館長に付いて江戸にも行っています。医学だけではなく、自然科学などにも通じていて、鳴滝塾などを開き、日本人の若者を多く育てています。
シーボルトが来日して4年後の文化10年(1827)、シーボルトと遊女其扇(楠本タキ)との間に、女の子が生まれます。その子がイネです。シーボルトには当時母国に妻子がいたこともあり、イネは母の生家楠本家の長女として育てられます。出島には外国人相手の遊女屋もいくつかあり、イネのような「混血」の子も当時はいたようですが、混血であることで、イネは苦労することになります。イネのことは現在でも「和蘭おいね」と呼ばれることも多いのですが、それは当時の日本はオランダ人以外の入国を許しておらず、シーボルトはオランダ人として日本に入国したためでした。

イネが2歳になった文政12年(1829)、いわゆるシーボルト事件が起こり、父シーボルトは国外追放処分になって日本を離れることになってしまいます。これは当時の天文方高橋景保が、持ち出し禁止だった日本地図をシーボルトに渡したことを、国禁を犯したとして幕府に咎められた事件で、景保は投獄されて獄死してしまいます。その時にシーボルトに手渡された日本地図が、伊能忠敬の測量した「大日本沿海興地全図」で、当時もっとも正確な日本地図と言われていました。

イネは好奇心が強く、勉強好きな少女に成長します。事件以来、父とは会えなくなってしまいましたが、父の開いた鳴滝塾の塾生たちから学びます。石井宗謙から産科学を、のちに最期を看取ることになる大村益次郎からはオランダ語を学んでいます。そして、24歳の時、日本で初めて女医として産婦人科の医院を開くのです。
イネは生涯独身でしたが、実は石井宗謙との間に子どもが2人いました。けれどイネは石井家を出て、医学の道に進む生き方を選んだのです。

イネと母タキが再来日したシーボルトと再会したのは、イネが32歳になった安政6年(1859)のことでした。親子3人は初めてともに暮らすことができるようになります。しばらくは長崎での平穏な暮らしが続いたのですが、シーボルトが家に通っていた女中さんとねんごろになり、子どもができてしまったことで、イネは大いに困惑した、という逸話も残っています。
イネはのちに江戸にも出て、日本の産科婦人科の発展に尽くし、明治36年(1903)77歳で亡くなりました。

                             相原 葉子
                             ムックマムスタッフ
                             本業は日本史ライター
                             現在は休業中
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寄り道小道

<寄り道小道>
小林秀雄とホンモノを見分ける目

ムックマム代表 小林あゆみ

一人だけ好きな文筆家を挙げるとしたら、小林秀雄になる。
大学入試の評論文で、最も出題回数が多いらしい。
実際、長女のセンター試験のときにも出題され、
ああ、これでまた小林秀雄嫌いの日本人が全国に何十万人と
増えたなあと、苦笑してしまった。

かく言う私も、高校生の時は洟もひっかけなかった。
それが大学生になり、国文科の担当教官があんまり毎度毎度の
講義で小林秀雄批判をするものだから、
かえって小林秀雄に興味を持つことになり、
遂に本を手にとって読んでみることになった。

すると、いきなり面白い。
深いところで感じていたものを、まさに見事に言い表してくれていた。
雲は晴れ、さわやかな気分になったのを憶えている。

小林秀雄から学んだことは数え切れないけれど、
その後の人生において最も役立ったのは、
ホンモノを見分ける目を持つということだった。

「みんな違ってみんないい。」
たしかにそれはその通りだが、そのことと、
ホンモノとそうでないものがあるということは別問題で、
この世にホンモノと呼べるものは、やっぱりあると思う。

好き嫌いとか、正解不正解ではなく、
人間が深いところで共有している、
解釈や分析を越えたところにある何か。
正しい選択はないとしても、選択がホンモノであるかどうかはあるように。

「なんでもあり」、「答えはない」、「ゆるくていい」・・・。
いろんな考え方やいろんな物があっていい。
どれにも一理、一利はあるし、現実の場面で役立たせればいいと思う。

でも、しばしば私は自分に問いかける。
小林秀雄なら、これをどう捉えるだろうかと。
この出来事、この商品、この考え方、この風潮・・・
本質的な価値を見定められるのは、情報量でも分析力でもない。

ホンモノに触れ、感じること。
頭の中の余計なおしゃべりをやめ、知識ではなく感覚を磨くこと。
その体験の積み重ねから、
少なくとも「ニセモノ」は見えるようになる。

小林秀雄が教えてくれたこんなヒントから、
私は、雑然とした日々の中でふと、
「ホンモノだろうか?」と問いかける習慣を持つようになった。

そして30年近くたち、今ならわかる。
「ホンモノ」の対義語は、「ニセモノ」ではなく、「薄っぺら」なのだ。 

「カナヅチ・トリロジー 第三話」

「カナヅチ・トリロジー 第三話」 榎並 摂子

ささえ愛よろずクリニック ヨーガ・内観指導

内観瞑想会「ここから」主宰






彼女のカナヅチは

そんじょそこらのカナヅチではない

筋金入りのカナヅチだった。



20代の頃に一念発起して行ったスイミング・スクールは

半年も通ったのに、全く泳げないまま終わった。

毎回、後ろから来るおばちゃんに追い上げられ

水をしこたま飲んで、本当に切なかった。

こんな思いをするくらいなら

「一生泳げないままでいい!!」

彼女のカナヅチ度は更に深まった。






そんな彼女の後ろ向きな心を変えたのは

彼女の娘の通う遠泳教室の先生だった。



「パッ」と

水の上に円ができるように

強く吐く。



それができたら

お次は

「ポーンポーン、休んで、パッ」



『これは「ドル平泳法」と言って

ドルフィンキックと平泳ぎの手で泳ぐやり方です。

「ポーンポーン」で二回蹴る

「パッ」で吐くだけで、息は吸いません。

初心者に吸うことを教えるのはダメです。

いきなりクロールは難しいのです。

カナヅチに息継ぎは禁物です。』



確かに!!

吸おうとするから水を飲んでしまうのである。

吐くだけなら、水は入ってこないから安心だ。

なんだか彼女はできるような気持ちになった。



最初は両手を先生につかんでもらって
「
ポーンポーン、休んで、パッ」



それができると次は

両手をつかんでもらっているが

「パッ」の時に右手だけ先生が手を外す

すると彼女は右手だけ水をかく形になる。



次は左手

それもできると両手を外す。



ひとりである程度泳げるようになると

今度は大人プールへ移動した。



「旗の所からここまで泳いできてください」

5メートルの距離である。

難なく泳ぎ、とても誇らしい気持ち。



「それでは

今度はプールの真ん中から泳いできてください」



12.5メートル

ちょっと難しいかな?

不安な気持ちを抱えながらも

なんとか泳ぎ切る。


「やった!!!」



水泳教室の終了時間だ。

もう思い残すことはない

彼女は先生にお礼を言って帰ろうとした。



「お帰りテストがまだです」



「ここから、向こうまで泳いで、

そしてこちらまで戻ってきてください」



???????


あのう〜

先生、それ50メートルですよね?



心の中で叫んだ。

でもそんな彼女の気持ちにはお構いなし

先生は「はい、◯◯(生徒のひとり)が審判です」

有無を言わさず彼女をプールに引き戻した。



「絶対に無理に決まってる!」

だって、カナヅチだもん。

12.5メートルで大満足だもん。



帰ろうとする彼女に

先生はもう一度言った。

「お帰りテストです

◯◯は審判してください」



「怖くなったり、疲れたら

浮かんで休んでください

ゆっくりでいいです。」



そう言われて

少し安心した。



そうか、競争じゃないんだ。

ゆっくりでいいんだよ。



ゆっくり、ゆっくり泳いだ。



「ポーンポーン、休んで、パッ」



「ポーンポーン、休んで、パッ」



心の中で呪文のように



「ポーンポーン、休んで、パッ」



「休んで」のところでうまく力が抜けると

ふわっと浮き上がる。



だんだん感覚がつかめて

泳ぐことが楽しくなってきた。



傍らで見守ってくれている

審判の男の子の気配も感じる。



もう少し



あと少し



「ポーンポーン、休んで、パッ」





気がついたら

なんと

彼女は50メートル泳ぎ切っていた。



あまりの驚きに

声も出ない。



50メートル!!



先生から指導を受け始めて
まだ2時間しか経っていなかった。



彼女の、カナヅチの40年はなんだったのか?



今日のこの日の感動のために

用意されていたカナヅチだったのか?





もしかして

人間は

無理だと思えることでも

自分がその実現を強く望んでいて

そして、そこに向かって行動を起こせば
なんでもできるのかもしれない?



彼女は、この偉大な師から

「感動」を与えてもらった。

水泳の楽しさだけでなく

自分らしく生きることの素晴らしさを教えられた。



年齢は関係なかった。

大切なのは

「わたしはどう在りたいのか?」ということだった。



じゃあ

「あなたはどう生きたいの?」



そう投げかけて、このトリロジーを終わりにしよう。



これは、本当にあったお話

どんなことでも、実現できる。

あなたが、そう強く望み、行動を起こせば。



かなずち

(おわり)



ムックマムファンの皆様、こんにちは。

榎並摂子(えなみせつこ)と申します。

新潟市を拠点に

ヨーガと内観瞑想をお伝えする活動をしています。

第三話も、お楽しみいただけたでしょうか?

「カナヅチ・トリロジー」は

三話とも本当にあった話です。

このお話で、何か感じていただけたら

とてもうれしいです♪

            愛を込めて せつこ☆
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