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イラク戦争を見てきた男の呟き 第3回(最終回)


神 慶興(じんよしおき)
1954年北海道生まれ。防衛大学校を病気のため退学後、北海道工業大学へ。電気興業(株)、東邦石材フィリピン駐在員時代は大澤清氏を師事する。その後、生活クラブ立ち上げに参加し、有)花泉商店を平成17年に解散するまで代表を務める。新潟市在住。


 最近話題になった映画『アメリカン・スナイパー』は主人公の兵士が子どもとその母親を狙撃して射殺する場面から始まります。どうしてあんな残忍なことが平気でできるようになるのか、わかりますか?

 防衛大学在学中、特に「大当たり」の隊にいた私の経験では、限られた空間で恐怖と暴力を使えば3カ月で普通の人を兵隊として機械に変えることができると言えます。鉄拳制裁が教育の基本だった私の隊では、入学して3か月後に笑顔を持っていた人は一人もいませんでした。

 さて、ある程度戦争ができる状態になった兵士を前線に送り込むためには、「ヒートアップ」が行われます。いつでも人に対して銃を発砲できるように、実際に実弾を銃に込めて撃つのです。通常の自衛隊は銃の操作を習得させるために撃ちますが、薬莢は回収します。また、数々の規則で武器を簡単には撃てない状態にしています。しかし、戦場は別です。

 イラク戦争時、自衛隊はクウェートの射爆場を借り、かなりの数の弾を撃っていました。その後、イラクのサマーワ基地に移動して任務に就きます。私は、3か月後の彼らを見るまでは「大変ですね、でも特別手当が出るんですよね」くらいの気持ちでした。

 逆に戦場から帰って来ると「クールダウン」という処置が施されます。当初、何の事かわからず取材に行ったのですが、「クールダウン」に入った隊員からの第一声が、「貴様、何しに来た!帰れ」でした。「ヒートアップ」の時とは全く違う対応でした。実はこの方と一年後に再会して取材することになります。

 サマーワ前線基地(政府の発表だと非戦闘地域)から帰還した自衛隊員は、頭を赤く染めモヒカン刈りにしている人、眉をそっている人、帽子のように髪を刈っている人(アメリカ海兵隊員のマネ)、どぎついサングラスなどなど。目つきも尋常でなく、いつ喧嘩が起こっても不思議でない状態でした。全員がそんな状態でした。

 その自衛官をホテルに「缶詰め」状態にして数日何もさせずにおくのが「クールダウン」です。もう銃を持たなくても、周りを警戒しなくてもよい状態であることを身体に教え込むのです。何もしません。ただ寝て食べて好きなことをするのです。ただし、絶対にホテルから出られません。何をするかわからないからです。これは日本に帰る前に、心を戦場から日常の生活状態に戻すためのものです。

 一年後、クェートのホテルで「クールダウン」取材時に私に怒鳴った方を取材しました。気難しく、目が吊り上がった人のように思っていましたが、彼は好々爺(こうこうや)よろしく、満面の笑みで玄関まで迎えに来て、私を書斎に通しました。「あの際はありがとうございました。サマーワの写真や資料もたくさんありますが、ご覧になりますか?必要ならコピーを取りましょうか?」とその彼は言いました。
 
 その時、私は気づきました。戦争は人を別人にする。彼は、否、あの「クールダウン」に参加していたモヒカンの人たちは、みな普通の親切な日本人だったのだ。あらくれ者があれていたのではない、普通の若者が、特別な教育と環境によって変わり得るのです。

 サマーワから帰還した自衛官には自殺者が多いそうです。先ほど紹介した『アメリカン・スナイパー』の主人公も心が戦場から戻れなくなってしまい、家族と軋轢が生じます。映画の中だけであればいいのですが、日本の若者や子どもたちにも対岸の火事とは言い切れません。そんなところに子どもを送らないと堅い決意をしている方もいるでしょうが、今回も大混乱の中、集団的自衛権は国会を通過し、法律として成立しました。
 
 私たちには選択肢があります。政府とマスコミの情報だけでなく真実を追究し、どう考え、どのような行動をとるかを考えていただきたい。そのために私の知ることをお伝えしました。


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イラク戦争を見てきた男の呟き 第2回


神 慶興(じんよしおき)
1954年北海道生まれ。防衛大学校を病気のため退学後、北海道工業大学へ。電気興業(株)、東邦石材フィリピン駐在員時代は大澤清氏を師事する。その後、生活クラブ立ち上げに参加し、有)花泉商店を平成17年に解散するまで代表を務める。新潟市在住。


 日本の自衛隊は、海外各地に復興支援等に出かけていますが、攻撃されたと報道されたことはないでしょう?彼らの行動は現地の人間に信頼されていて「自衛隊ブランド」になっており、アメリカや他の国の軍隊とは一線を画しています。

 自衛隊がサマーワ基地から撤退する時に、現地の人達が武器をもって阻止するという情報があり、最後の自衛隊は予定時刻を早めて、日の出と共に撤退したと当時の隊長から聞きました。それほど慕われていたということです。

 これは日本の自衛隊が住民視線で誠意と親切をもって行動していたことが一番の理由ですが、一つには他国の軍隊と違って、武器を不必要に使わない軍隊であったということが大きく関係しています。

 集団的自衛権を議論する際には、このことを是非とも考えに入れて頂きたい。現地での機微を知らずに議論することは、賛成反対の両者が高い屋根の上で目隠しをして喧嘩をしているようにしか見えないのです。

 例えば、クエートでの取材中に韓国軍の金二等兵がイラク人のゲリラに捕まり、生きたまま首を切られました。これは多くのアメリカ兵が処刑されてきた方法です。金二等兵が処刑されたのは、韓国がアメリカ軍と一緒に行動したからです。これはまさに今、日本が集団的自衛権の行使により、しようとしている行動ではないでしょうか。

 アメリカに追随した行動をとることは、韓国軍と同様のパターンになり、テロの標的となる可能性が高まるでしょう。当時、多国籍軍はさまざまな攻撃を受けていましたが、日本の自衛隊が攻撃を受けなかったのは何故かをよく考えて頂きたい。

 アメリカ軍と一緒にいて敵と向かい合ったら、アメリカ軍は自衛隊に銃を突きつけても戦わせるでしょう。実際にイラクでは、自衛隊がアメリカ軍から威嚇射撃を受けています。当たっていれば全員即死です。これも報道されていません。

 そして、紛争地域だけではなく、国内にいる一般市民までテロの対象となり、巻き添えになる可能性も出てきます。戦後築いてきた「不戦の軍隊」を失うことは、日本にとってどれだけのリスクが発生するでしょう?

 テロをする人たちは警察に逮捕されることなど恐れてはいません。彼等は多国籍軍(全ての国ではないのですが)に我が子を殺され、レイプされた娘や妻が家族ごと焼き殺され、苦しみの塊となっているからです。イスラムは恐ろしい宗教のように言われますが、本来は「博愛」を説いた宗教です。自爆テロ等に於いての宗教的意味合いは二の次なのです。ほとんどのテロの根源は「憎しみ」です。

 我が子を戦場に送らなくても危険は迫ってくるのです。ここが、あなたの家の周りが、戦場やテロの場となるからです。

 日本を共に守る相手を見つけること。それは必要だと思います。しかしながらそれは現在のアメリカ軍で良いのでしょうか?イラク戦争を見てきた私の呟きです。

第3回につづく

イラク戦争を見てきた男の呟き 第1回


☆はじめに・・・
 編集長の小林です。今回の記事は私の友人で、イラク戦争を一民間人として現地に入り見てきた方のレポートです。ムックマムで取り上げるには少し重いテーマですが、通常の報道では届いて来ない貴重な報告書としてご紹介します。ムックマムとして意見を持つものではありませんが、お読み頂いて共に今後の日本のあり方を考える素材として行けたらと思います。




神 慶興(じんよしおき)
1954年北海道生まれ。防衛大学校を病気のため退学後、北海道工業大学へ。電気興業(株)、東邦石材フィリピン駐在員時代は大澤清氏を師事する。その後、生活クラブ立ち上げに参加し、有)花泉商店を平成17年に解散するまで代表を務める。新潟市在住。



 小泉首相がイラク戦争の支援を決め、日本が戦後初めて本格的な武器を持ち海外で活動したのは、2003年12月から2006年7月迄です。

 この時、私は防衛省から取材を許可され自費でイラクに何度か飛びました。当時北海道で米屋を経営していた私が許可されたのは、当時の自衛隊幹部と、防衛大学時代からの交流があり、あり得ない偶然が重なったためでもあります。ちなみに私以外で許可されたのはNHKのみ。読売・毎日・朝日といった大手新聞、文春、新潮等はのきなみ取材を却下されていました。

 とはいえ、当時の私は米屋経営の傍ら個人的に食の問題や環境問題に関わっておりましたが、ジャーナリズムなど全くの素人。カメラはコンパクトカメラでした。そのことを前提に、イラク戦争時期に動いたボランティア、ジャーナリスト、イラクの現地人、派遣された自衛隊の現地取材(電話取材等)のお話を皆様にお伝えしたいと思います。ただ、テレビ等で報道されたものとはかなり違いますので、驚かれるかもしれません。どのように受け止められるかはお任せし、私はただ自分が見たり聞いたりしたことをお伝えするに徹したいと思います。

 さて、フセインが倒された直後のイラクはとても安定していました。小学生の娘と旅行するジャーナリストがいたり、観光バスでツアーをする人さえいました。治安が一変したのはファルージャという町での事件が発端です。

 私の知人の、イラクで民間人救助をしている日本人女性のTさんが写真を見せながら、私に語ってくれたことによると、若いアメリカ兵士が現地の小学生にポルノ雑誌を配り、それに抗議したイラク住民がデモを起こしました。そのデモをアメリカ兵が待ち伏せして発砲し、驚いて逃げた住民を家まで追いかけ、ドアを破って殺しました。イスラムでは未成年に女性の裸を見せるのは禁止されていることを、アメリカ軍に伝えるためのデモだったようです。私もデモの写真を見ましたが、デモは平和裏に行われ、住民たちは全員丸腰でした。

 しかし一般の報道では、アメリカ軍がテロリストの待ち伏せを受け、反撃したとされています。でも、この時点ではテロリストやその部隊はまだ存在していません。イラク人が攻撃をしたとしたら、肉親を殺された人が仕返しをしたというのが本当のようです。この事件はその日のうちにイラク中に伝わり、イラクの民衆は一斉にアメリカに恨みを抱き、現在に至っています。

 また、テロリストがイラクの石油施設を攻撃したという話も、実はアメリカ軍が「大量破壊兵器を阻止する為」との名目で空爆するも、石油関連の場所にはピンポイント攻撃で全く被害を与えず、待ち構えていたとしか思えないタイミングでアメリカの石油会社が乗り込んで来たというのが現地の情報です。
 つまりイラク人にしてみれば、アメリカが石油を盗みに来たとしか思えなかった上、誤爆によって一般住民の生活場所が被害を受けたため、怒った市民がパイプラインを爆破して報復したとのこと。これを報道では「テロリストの仕業」としています。

 日本で暮らして普通に報道を見聞きしているだけではわからない側面があるということを、現地取材する中で何度も考えさせられました。今、集団的自衛権が議論されるのを見ていると、現地での事実を知っていたらこういう論は出て来ないだろうにと思う点がいくつもあります。そしてそのことを危うく感じています。

第2回に続く

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