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父の認知症 後編

 父が認知症を発症し、通院をするようになってから2年ほど経つと、一人で自転車で外出する時間がどんどん短くなってきた。おそらく、遠くまで行くと不安なんだろう。どこに自分がいるかわからないから。車にぶつからないか心配だが、家に閉じ込めるわけにもいかない。ここで、苦労して短時間の運動中心の通所施設に通わすようになるのだが、ここからがまた大変。行きたくないとダダをこねるから、母が一苦労。施設に着けば、一通りメニューをこなし、大変良かったと感想を言うらしい。しかし帰宅後は、施設では何もしないし、もう行かないと毎回言うという。

 病院受診も最初は一人で行けたが、ここ半年くらいは、母が同行するようになった。先日私が歯医者に同行した。近いので歩いて行けるずっと通っていた歯医者なのに、道はもちろんわからない。家を出て30メートルほど歩くと、「ここはどこだ?」と聞く。最近は家から出るとしょっちゅうこうやって場所を聞く。どこにいるか不安で場所を確認するのだと思う。
 何度も何度もここはどこだと聞くうちに歯医者に着く。なるべく、手助けしないようにと思うが、診察券を出す行為もできない。診察が終わって会計する段になっても、言われたお金を財布から出すことができない。もちろん、次の予約も。認知症が随分進行したなあと思い、玄関に向かうが、今度は自分の靴がわからない。想像はしていたけれど、ここまで進んでいるとはとかなりショックだった。

 こんなこともあった。実家で父に「カッターを貸して」と頼んだ。父は「カッターって何だった?どんな物だ?」と言ったのだ。口で説明するが、なかなか分かってもらえず、私がありそうな場所を探すことになった。先日は「イチゴ」が何かわからなくなっていたし、父の場合、物の名前がどんどんわからなくなるようだ。よく、時々まともなことを言うという人の話を聞くが父の場合はほとんどそんなことはなく、少しずつ少しずつ悪化してきている。

 私は認知症の勉強をした。本もたくさん読んだ。対応法もわかっている。でも、実際には本のようにはできない。自分の父だから。わかっていても、どうせすぐに忘れてしまうのに、判断力なんてなくなっているのに、話すとつい頭にきて怒ってしまう。脳の活性化を図るということはいろいろ試した。根気よく根気よくやってくれるように頑張ったつもりだったが、こっちも疲れてしまって、やらなくなってしまった。

 ところが、最近知った「ユマニチュード」という方法で接してみると、案外すんなりと言うことを聞いてくれることが分かった。
 ポイントは、笑顔で話しかけること。身体に触れること。でも、今まで手を握ったり、背中や腕を触ることなどする習慣がないから、大変。母にも勧めるが、母こそそんなことはできないようで、体に触れて誘導するということはかなり困難なようだ。

 こうやってどんどん父が壊れていく。認知症は悲しい病気だと思う。私の名前も言えなくなってしまったし、どうやら自分に子どもが何人いたか覚えていないようだ。ほんの1分前のことも覚えていないから、何度も同じことを質問し、周りの人間にストレスを与えている。そのうち私の顔も見ても「どなた様ですか?」と言われる日が来るのだろうかと不安になる。それだけは、避けたいと思う。
 父の好きなこと、楽しいことをしてやりたいのに、何を聞いても何もしたくないと言う。昔持っていて、手放した土地を見に行きたいというが、住所もわからないので、行きようがない。

 今思うのは、何とか両親が二人での在宅生活を一日でも長く続けて行けるようにサポートすること。そして、自分が認知症にならないこと。自分がこんな風になるのは耐えられない(まあ、自分はその時はわかっていないんだけれど)。両親が元気でいてくれることが最大の幸せだと今つくづく思うから、自分の子ども達の幸せのために自分たちは元気でいたい。

 どうか、母の笑顔が消えませんように、ごくたまにしか見なくなった父の笑顔が消えませんように。自分も父に会うときはいつも笑顔でと肝に銘じる今日この頃です。

        アルツハイマー型認知症の実父を持つ、ムックマムスタッフ S子
        義父母と夫と息子と暮らす52歳。


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父の認知症 前編

 父の様子がおかしいと思ったのは、5年ほど前のこと、父が75歳の頃だった。
 同じ話を何度もするのはもちろん、身なりを気にしない。表情がない。何をするにも気力が失われていており、これは認知症だなと思ったので、車の運転をやめさせるために受診させたかった。
 母はもちろん、姉も認知症ではないと言って、病院に行かせるなんてかわいそうだとも言った。かわいそう?このまま放置して悪化することの方がかわいそうだよ。事故を起こして誰かをケガさせてからでは遅いよと説得したが、なかなか理解してもらえなかった。
 もちろん父本人も。自分はどこもおかしくないと。

 本人はおろか周囲にも理解してもらえず一年位過ぎたが、症状はどんどん悪化しているように思えたし、気になるエピソードも増え、ようやく周りの人間が受診に賛成してくれるようになった。
 しかし、ここから父を説得するまでにはかなりの労力が必要だった。
 結局、本人をだます形で、脳の検査をし、アルツハイマー型認知症と診断された。そこから、通院を始め、なんとか車を手放すことができた。意外にも車を運転しない母の方が車を手放すことを渋っていた。なぜなら両親の住んでいる町は田舎なので、車での移動で長年暮らして来たため、バスやJRに乗ることの方が難しいと思っており、タクシーを使うという選択肢はゼロだった。自家用車なら重い荷物だって歩いて運ばなくていいし、時間を気にせず用事をたせたから。

 さて、通院が始まって、お酒もやめた父は、購入した自転車で移動するようになった。少し認知症状も進行がゆっくりとなったようにも見えた。
 しかし、自宅で母以外の人と話をしない。近所の人と交流がない状況だと、運動能力も衰え、認知症による気力が奪われていき、過去の辛かった思いや、最近の嫌な出来事ばかりを繰り返し繰り返し母に話すようになっていった。
父の5歳下の母は、幸いにも体も丈夫で、明るい性格だったから、二人の生活も何とか成り立っていたが、母には過度のストレスがかかっていった。

 父は外出は好きだったが、自転車でふらふらと出かけ、帰宅後にどこで何をしたかを答えることができなくなった。よく自宅に戻って来られると不思議なくらいだった。
 通院してから一年ほど経った頃は、物事の決定はできなくなっていたし、こだわりが強くなり、正常な判断はどんどんできなくなっていった。老人会などに出かけて欲しかったが、耳の聞こえもあまりよくなく、たくさんの人の中での会話が困難になったことで、人とのコミュニケーションがますます取れなくなっていくようだった。

 何とか、在宅で母と仲良く暮らしてほしいと思い、母のストレス解消のため、なるべく父と離れる時間を作るようにした。初めは、母だけ連れ出すこともできたが、一人で留守番することが心配になってきて、長時間は難しくなった。父と母を別々に連れ出すことが必要となってきたのだった。

 通院するようになった当初より、医師にも勧められたのが、介護サービスを使っての通所だった。父は当然拒否し、車が迎えに来るなんて恥ずかしいとか、そんな所に何しに行くのか、俺は絶対行かないと怒り出した。これ以上の説得もできず、認知症がゆっくりと進行するようにと祈るばかりであった。


        アルツハイマー型認知症の実父を持つ、ムックマムスタッフ S子
        義父母と夫、息子と暮らす52歳。


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