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ムックマム対談「子どもたちが幸せに生き続けるための社会作りとは」①


西田卓司(にしだたくじ)
ツルハシブックス劇団員(店主)1974年生まれ、千葉県出身。
畑をコミュニティの拠点とした「まきどき村」を新潟市で設立、毎週日曜日に「人生最高の朝ごはん」を開催。その後、サンクチュアリ出版の営業や大学生の地域企業インターンシップ事業などを経て、2011年に「ツルハシブックス」を開店。中高生と地域の大人との接点づくりを行っている。2015年には「つながる米やコメタク」を開始し、米屋×本屋の可能性を模索中。



ムックマム編集長 小林あゆみ
自然食・子育て関係のライター、食養歯科の助手、フリースクールの講師を経て、新潟市内でロハスな暮らしを提案するお店「アートフル」を8年間経営。今年の春からうどん県高松市に在住。


昨年9月に新潟市にてお二方の対談が行われました。
学校教育から始まって地域社会や人権問題まで広がり続け、さすが引き出しのたくさんある人たちは違う!息切れしながら二人についていったムックマムスタッフ大浦が対談の様子をまとめました。全6回を、前半と後半3回ずつに分けてお届けいたします。(まとめ 大浦恵美子)

    *          *          *

◆第1回 子どもの自己肯定感欠如◆

西田)目標設定って時代に合わないと思うんです。小学校で夢をみんなの前で語らせる授業があるんですけど、職業名で答えることに意味はないのではないかと思います。10年後に果たしてその職業があるのかどうか。

小林)「何になりたい?」って聞かれても、経験が少ない子ども達には本当のところわからないよね。大人達がお膳立てばかりしているから、子ども達は失敗を怖れる傾向にあるし。

西田)とりあえずやってみようという発想になるといいのですけど、そのためには自分の直感を信じられないとだめだし、そして自分に自信がないと、その直感を信じることができない。

小林)どうしたら良い?

西田)自分はここにいていいんだ、ありのままでいいんだという承認を感じないとチャレンジができないから、そういう体験をしてもらうこと。それによって自信をつければ、新たなチャレンジに向かうことができると思います。子どもの教育を学校だけで受け持つのではなくて、学校は純粋に学ぶところに戻ってもらって、承認体験は家庭や地域に戻してはどうかと思います。

小林)具体的には何かしてる?

西田)今僕は茨城大学にコーディネーターとして在籍しているんですけど、大学生が劇的に変わるプログラムをやっているんですよ。学生を田舎に連れて行って、地元の人から話を聞いて新しいツアープランを自分たちで考えるというワークなんです。

小林)どこの田舎に行ったの?

西田)離島の粟島ですよ。新潟県の、住民が300人くらいのところ。三泊四日で学生みんな感動して帰ってくるんです。観光のシーズンオフに行くから学生が歩いていると地元の人は不思議なわけですよね。だからみんなすごく話しかけてくるんです。それで「大学の授業で」とか言うと、「これ持って行け」とか言われて魚とかいろいろもらうんですよ。

小林)それすごいね!

西田)とにかくどんどん話しかけられるんです。都会じゃ知らない人から話しかけられて物をもらうなんてことあまりないでしょ?話しかけられたらむしろ気をつけろって言いますよね。自分がただ歩いているだけで関心を持ってくれて、喜ばれて、物までもらって、純粋にうれしくなるんですよね。大げさな話ですけど、自分は価値があるかもしれない、生きていていいんだという希望を得られるんです。

小林)そういう体験が今はなかなかできてないからねぇ。

西田)そうそう。言葉も通じないかもしれないし。参加者からもらった感想で、今までファミレスでバイトをしていた福祉学科の女の子が、お客でお年寄りが来ても嫌じゃなくなったっていうのを聞いてスゴイことだと思った。それまでは、何を言っているのか分かんないし、こっちが言ってるのも聞こえてんだかどうだかと思っていたけど、どうやったら話が伝わるか、どういう風に聞けばいいのかというのを考えるようになったって。それはその子の人生がもう変わったんですよね。

小林)それはいいわ。粟島へ行く以外には?

西田)商店街の人に学生がヒアリングをして、何かお役に立つことを考えるというワーク。そこもね、やっぱりもらうんですよ。物や食べ物なんかを。町の人の話を聞いているだけで。ご飯さえ持っていけばおかずいらないみたいな。店の人も街ゆく人も、話を聞いてくれるのがうれしいんですよね。うれしいからあげたくなる。でも、学生はそんなつもりじゃないから、もらいっぱなしだと気持ちが悪くなる。本能として。

小林)借りがあるっていうか。

西田)そうなんですよ。お返ししなきゃ、借りを返さなきゃと思って頑張るんですよ。何か出来ることないかなと真剣に考える、モチベーションが上がるわけですよ。そういう体験の繰り返しが承認欲求を満たし、自信がつき、自分はこのままでいいんだという自己肯定感につながっていくのではないかなと思いますね。その自信が新しいことにチャレンジしてみようという力になるのではないでしょうか。それを今、茨城大学でやっているところです。


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もしかしたら人生は あべこべ③

もしかしたら人生は あべこべ③
                           佐々木康行

地球上で生活をしている全てのものは、宇宙の法則の影響を受けます。これは原因と結果の法則です。とある原因があったからこそ、それに伴う結果が必ずやって来ます。だからこの世は「自分の蒔いた種を自分が収穫する」だけです。ですから他人や環境のせいにする必要はないのです。そして人間は、肉体を持って生まれて来た以上は、いつの日にか必ず死んでしまいます。朝に元気で出て行った家族が無事で帰って来る保証なんてどこにもありません。だから後悔しないように「ありがとう」「ごめんなさい」は言い忘れないようにしたいものです。

だけど私的には、人間の死は決して終わりでも敗北でもなく、今世の役割を終えてあちらの世界へ帰って行くだけと感じています。そしてあっちとこっちの世界を何度も行き来する事で、人間として成長して行くのかと感じています。

そしてこの世は、全員が着ぐるみを着て一つのドラマに出演している感じでしょうか。当然それぞれの着ぐるみにはそれぞれの役割があります。社長もアルバイトも親も子も、その役割が違うだけで上も下もありません。(余談になりますが、魂の進化段階の差はあります)。美人女優やイケメン俳優の役割の着ぐるみは人気がありますので、その中へ入りたいと感じている方は多いのですが、裏方さんの着ぐるみもあります。不人気な着ぐるみには、障害者の役や汚れ役といわれるものがあります。例えば大量殺人をする役割の人がいます。その方が自分の役割を上手に演じる事で、周りの方々へ恐怖心や悲しみ、怒り、虚しさ、無力感などを与えます。またある方は10代の若さで不治の病。親よりも先に死んでしまいます。それらの方々の最高の演技のお陰で、出演者達の記憶に残る素晴らしいドラマが出来上がります。そしてこのドラマに出演する事を通して多くの気づきを得るのが本当の目的なのです。

ドラマでの体験で湧き上がる感情に振り回されて物事を他人や環境のせいにしている間は大切なことに気づけず、全てを受け入れるところからのスタートです。数々の感情や価値観の手放しを繰り返す事で、自身の過去の体験すらも変わって見えるのではないかと思います。そしてドラマの中でのそれぞれの着ぐるみの役割を果たした後であちらの世界へ帰って行きますが、果たして本当にこのタイミングで天国や地獄へ振り分けられるのでしょうか。私的には、たぶん全員が同じ世界へ帰って行くのかと感じています。そこでは、先にあちらの世界に帰って行った方々と久しぶりに再会する事が出来ます。あちらの世界からは、こちらの世界がまるで映画を見るように丸見えですから、再会した昔の仲間達からは、迫真の演技を大絶賛してもらったり、下手くそやとヤジられたりするのかと想像しています。

とは言え、この地球には宇宙の法則が存在しますから、人を殺した原因による刈り取りは、どこかのタイミングでやって来ます。私的には、たぶん次の肉体を持ってこちらの世界に帰って来る時に、前世で他人を傷つけてしまった痛みの何倍もの痛みを味わう役割を持った着ぐるみに入って生まれて来るのかと感じています。もしも天国や地獄があるのだとしたら、あちらの世界が天国で、こちらの世界が地獄なのかもしれませんネ。これもあべこべです。
 

 お陰様で佐々木の好き勝手な妄想にお付き合いして頂けたご縁に感謝しています。ありがとうございます。

もしかしたら人生は あべこべ

もしかしたら人生は あべこべ②                 佐々木康行

せっかくの人生ですから自分らしく生きて行きたいと皆さん思われていると思いますが、多くの場合、自分の中に話す自分と、行動する自分と、本音の自分が存在していると思います。この3名が同じ方向で働いている時は自己矛盾が無いので良いのですが、それぞれがバラバラに行動すると、その不調和から体調を崩してしまう方がいます。例えば みそラーメンが食べたい時にラーメン屋へ行き、みそラーメン下さいと言えば みそラーメンが食べられます。ところが友人から「ハンバーガーショップへ行こう」と言われて「チーズバーガー下さい」と言えば、食べられるのはチーズバーガーです。ここには自己矛盾が発生しています。

自分が何をするためにこの環境に生まれて来たのかを知るためには、自分探しをする必要がありますが、その答えはスマホを使っても探せません。評判の良い占い師やヒーラーから教えてもらう事を欲する方もいると思いますが、その時に得た情報を信じるかは、最終的に自身の感性になるかと思います。私はそれよりも、答えを外に求めず、静かに自分の内なる声を聴けば、自然とわかる事かと感じています。

自分と向き合う時、それを妨害するものは、これまでの生活の中で自分を守るために身につけている鎧や武器や仮面です。これらの道具をその時々に使い分ける事で、現代人は上手な世渡り術を身につけています。例えば、親の前ではこの仮面をつけているような感じでしょうか。自分探しをする時には、他人から邪魔されない絶対的な安全地帯となる場所と時間を作らなければ、怖くてこれらのものを手放す事は出来ません。そして自身の役割がわかったら、それに集中するだけです。

例えば、オーケストラのバイオリンの役割は、指揮者の合図に合わせて、その時に出来る最良の音を最適なタイミングで奏でる事だけに集中したら良いのですが、チェロの音がズレたとか、フルートが間違えたとか、指揮者の能力が無いとか他人の事を気にする事で、自身のパフォーマンスへのパワーロスとなります。本来ならばチームメイトの事を信じ切る事で、自分の事だけに集中出来ます。その結果、最高のハーモニーがつくり上げられます。

自身の役割がわからない時は、目の前の事を一つ一つ誠実に対応して行けば必ず道は開けます。例えば、自分はハンバーガーショップの店員としましょう。自分の前にお客様が100名並んでいたとしても、後ろのお客様が「早くしろ」と怒鳴ったとしても、レジでの応対は、目の前のお客様へ普段通り誠実に接するだけです。あとは時間が解決してくれます。

私達は生活していく中で、良い事も悪い事もお互いに影響を与え合います。目の前で起こる体験の中には、その方にとって気づいて欲しいと思われる様々な課題が必ずそこに隠れています。人生に無駄な事などひとっつも無く、全てに意味があります。全てが必要、必然、最良のタイミングで起こっています。そして転びながらでも気づく事が出来れば良いのですが、転んでも気づけなくてその場から脱け出せない時や、同じ場所で何度も転んでしまうこともあります。そういう時は、結果に惑わされないで、原因の根っこのところを見極めると理解する事が出来るのかと感じています。 

 他人の痛みを我が事として感じる事が出来る方々は、他人の経験を通しても気づく事が可能です。そしてそんな方々には、自分と他人との分離感も無いのです。

第3回(最終回)につづく・・。

もしかしたら人生は あべこべ

もしかしたら人生は あべこべ①         佐々木 康行
 
新潟市在住の佐々木と申します。私は子供の頃から頭の処理能力は弱いので、パソコンやスマホは使えず、本も読まず、他人の目線や価値観や評価を気にする事も無く、思考回路を駆使して生きるよりも、自分自身の感覚を信じて来ました。

そして流れて来る大量の情報を処理仕切れる訳も無いので、自分から意識をして外から入ってくる情報の量を極端に少なくして生活をしていますが、お陰様で必要な情報はちゃんと入って来ますから、有り難い限りです。まだ発展途上で中途半端な私ですが、日頃から感じている事を書かせていただきます。

子供の頃から私達は、たくさん勉強して、良い学校に入って、大きな会社で働いて、出世して、お金をたくさん稼いで、流行の服を着て、便利な電化製品に囲まれて、最新の車に乗って、家を建てて・・・・・・そんな「足し算」を繰り返した先に幸せがあるように思わされて来ました。

勿論それらの中には達成感や満足感もあると理解していますが、そんな足し算の先には、矛盾や限界も感じていました。そして本当の幸せや健康は、どうやら「引き算」を繰り返した先にあるような気がしています。常識とはあべこべですが。

思考回路を使う事で人間は、確かに段取り良く生活する事が出来ますが、思考にはまる事で過去に縛られたり未来を気に病んだりもします。その結果、今を生きていないことになります。本当ならば、今のこの瞬間に集中して生きて行く事が大切かと思いますが。

そんな思考を切るには、一点を見つめる事です。ひとつの花を見る、見る、見る。そうしたら思考から解放されて無になれます。これが今を生きている状態です。
  
最近の私は 物事を考える事はしません。少し感じてみるだけです。たぶん人間の中には、これまでの人類の叡智とまだ明らかになっていない新しい時代の科学などの情報がギッシリと入っているスーパーコンピューターと繋がる回路が存在します。ですからそこへ繋がるだけで、ポコッと素晴らしいイメージがやって来ます。そこに繋がるためのパスワードは「お陰様で、ありがとうございます」です。こんな、思考を手放す生活もまた常識とあべこべですネ。

昔から日本人は、道を究める生き方を好みます。柔道、書道、茶道など…どの道から進んでも、究めたその先はたぶん同じ場所にたどり着くのかと感じています。ですが、忙しくて効率を追いかけている現代では、道を究めると言っても、例えば勝ち負けの結果にこだわる路線を進んでいる方も多くいます。

そんな効率を追求して行くと、ボーっとしている時間や空いている時間は無駄な時間で、何かサボっているかと自分自身を責めてしまいます。だけどこの「間」とか「空間」とか「寄り道」「わき道」が本当はとても大切なのかと感じています。

出来るだけゆっくりと歩みを進める事でしか見えてこない風景には、数多くの気づきに繋がる貴重な体験が潜んでいると感じています。ゆっくり歩こうというのもまた、あべこべですネ。

例えば杉の木は、台風が来ても、日照りが続いても、大雪が降っても、鳥が糞をしようが、不平一つ言わず同じ場所に立ち続けています。山や海も日々形を変えながら生きています。たぶんゆっくりと歩いて行くってこんな感じかと思います。

やっぱり学ぶべきものは「天然」ですネ。 

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